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泥と家。

就職セミナーは、哲学的だった。

ある雑誌の編集長さんや副編集長さんのお話が聞けるセミナーに行った。
最初に副編集長さんがくり返しおっしゃっていたのが、「時代の気分」という言葉。
それを聞いて「モード論」の授業を思い出した。
でもお話を聞いていると、その「気分」というのは、「流行」とも違うもののような感じがした。
どちらかというと、「反モードがモードになる」という感じ。
流行にとびつくのではない(反モード)のがかっこいい、というような価値観を提示しているような気がした。そして読者もそれに賛同して、一つの流れが生まれる(モードになる)。
もちろん、そのようなことはわかっていらっしゃるのだろう。情報は「水位差」だとおっしゃっていた。そしてこの仕事をするなら、そのことにタフでいなければならないと。

もう一つは、「まち」ということ。
この雑誌は「まち」を扱う雑誌だとおっしゃっていた。
しかし私は、そこまで「まち」に興味を持てないかもしれない、と思った。
田舎で育った。「まち」というのは、日本のほんの一部なのではないかと感じてしまう。
村があって、森があって、田んぼや畑がないと、人は生きていけない。
輸入すればいいやなんて思うのでしょうか?
今私は、わりと都会に近いところに住んでいるので、こういうセミナーにも思い立って行ったりすることができますが、
田舎にいたら、気軽には来られないです。
バンドをしたいと考える人も少ないし、遠くまで行かなければ集まれない。
食べるところも数が限られているから、「ここはいまいち」とか言っていられない。
そういうところで育つ文化のほうに、より興味をひかれるのかもしれません。

この雑誌が、どれだけこだわりを持って作られていても、
他の雑誌を読みたいと思う人の気持ちも、わかるのだ。
なんだか、この雑誌の価値観を押し付けられるような気分になってしまうのだ。
何がかっこいいか、ということを。
他の雑誌には、おいしくない店も載っているかもしれないけれど、
その中から自分にとって満足できるお店を探せばいいのだ。
探す楽しみ。
たぶんそういう人々は、雑誌に「おいしい店」を求めているわけではないのだろう。
私にしてもそうだ。
雰囲気はどうか(怪しい店じゃないか、入りやすそうか)、値段はどうか(予算に合うか)。
舌は肥えていないから、味については妥協できてしまったりするのだ。

でもきっとこの考え方は、育ってきた環境やなんかに大きく影響されているのだろうなぁ。
by hyuri07 | 2004-12-19 00:52 | モード論


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