めぐめぐめぐ。

先日、金華山関係の会議に出席させていただいたとき、ある団体の方がおっしゃっていたこと。
「行政のやる気が見えない。命を懸けて、金華山を守ろうという気持ちが見えない。それがあるから、我々もついていこうという気になるのだ」というようなこと。
確かにそうだ。仕事なのだから。命を懸けて、精一杯、大切にしなければならないと思う。私自身にも、そういう気持ちが欠けていた、と思った。この方も元は公務員で、その立場をよくわかった上での言葉には説得力があった。
しかしなかなか大変なことだ、と思った。金華山の担当になって、金華山に命を懸ける。でも、ふいに異動になる。今まで命を懸けていたもののことはもう捨て置いて、今度は別のことをやれと言われる。命まで懸けているのに、そんなに急に方向転換できるはずがないような気がする。
できるなら、命を懸けられるものを増やせるといいと思う。金華山に加えて次の部署のものも。ただ、そのうち、命がいくつあっても足りなくなるような気がする。とはいえ、市長さんなんかは、市内の全てのことに命を懸けているわけで。私にはその境地は想像もし得ないけれど、そういう仕事、そういう人もあるのだろう。
もしかしたら、命を懸けているものを異動で急に奪われるのが辛いから、命を懸けないのかもしれない。命を懸けたって、そのうち異動することがわかっているから、命を懸けようとしないのかもしれない。
それを理由に適当にしか仕事をしないのはおかしい、と思う。だけど、事実、命を懸けていたものをふいに奪われるのは、ただただ辛い。その仕事が「好き」「得意」「自分に向いている」「他の人にはできない、自分にしかできないことをやっている」などと思えたら、なおさらだ。そんなに急に割り切って、別のものに命を懸けるなんて、できない。命を懸けていたものを忘れられないのは、自然なことだと思う。
XさんはAという仕事が好きで、命を懸けて、熱量を割いていた人が、ふいにそれを奪われてBという仕事に移ることになる。しかし、やはりAという仕事のほうが好きで、Bという仕事にはAほどの熱量をかけられない。Aは後任のYさんがすることになったが、YさんはAはあまり好きではなく、それでも割り当てられた仕事なので淡々とやっている。…XさんとYさんの仕事にかける熱量の合計は減っている。それが果たして市のためによいことなのか。そもそも残念ながら、「この仕事が好き、向いている、やりたい」と熱量をかけられる職員は少ない現状なので、そうした職員を動かしたら、全体での熱量は下がるだけだ。
不正を防ぐとか、新しい目が職場を見直すことも必要だとかいうこともわかる。でも、デメリットのほうが勝つような気もしてしまう。
(続く)
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by hyuri07 | 2013-06-19 00:36 | そのほか。


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