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ちょっと考えた早朝。

私はいつもポッキーを、チョコレートの付いていないほうから食べる。
チョコレートの付いた部分のほうが好きだから、できるだけその部分を後に残したいのだ。(ケーキのいちごも最後に食べるほうである。)
昔は、チョコレートの付いていない部分をすべて食べてから、付いている部分を食べていた。手にチョコレートが付いてしまうが、それをも厭わないほど、チョコレートの部分を後に残したかった。
小学校高学年くらいになって、手にチョコレートが付かないほうがいいと考え始めた。それでもチョコレートの部分をできるだけ後に残したかった私は、独自の食べ方を確立させるに至った。
まず、チョコレートの付いていない部分でも、できるだけ付いている部分に近いところを日本の指で持つ。そして、チョコレートの付いていないほうの端から、指で支えている部分ぎりぎりのところまで、まずかじる。そして、短くなったチョコレートの付いていない部分を持って、今度はチョコレートの付いているほうの端から食べていく。こうすれば、最後に食べるチョコレートのついていない部分はかなり少なくなる。付いていない部分は最後の一口に残るが、そこはチョコレートの付いている部分と一緒に食べることになる。最後の一口まで、チョコレートを味わえるのだ。普通に食べていけば、最後の一口は、チョコレートの付いていない部分のみになってしまう。
無意識にこの食べ方をしてしまうので、他の人と食べているときには不信がられる。「私もそうする」という人にはまだ出会ったことがない。
しかし、妹だけは私と同じ食べ方をする。小学生のころ、私を真似たか、私が偉そうに教えたかではないかと思う。しかし、なぜその食べ方をするかと聞くと、堂々と私と同じ主張をする。彼女には、人の食べ方を見てこの方法を始めたという記憶はない。すっかり自分のものにしているのだ。
子どもに教えるということの怖さを知る。人に教わったのではなく、自分にはもともとそれがあったと感じるようになってしまうのだ。軍国主義を教えれば、軍国主義がその子のものになる。教えられたものだと感じていれば、それが間違っていたとしても頭で修正できそうだが、自分のもともとの考えだと信じているものを修正するのは、かなり難しいのではないかと思う。
by hyuri07 | 2005-05-21 05:11 | 日常生活。


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