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としおち。(「ブスの瞳に恋してる」)

 世の中に、ブスといわれる女性は、何割くらいいるのだろう。本音で、自分のことをブスの部類に入っていると思う女性は、何割くらいいるのだろう。
 その中に入っていると感じさせる過去のある私には、泣けて泣けて仕方ないドラマだった。

 世の中にはきれいな人がいる。かわいい人がいる。
 私が、きれいなゆえの悩み、かわいいゆえの悩みに想像が及ばないように、彼女たちにしてみれば、実際のところどうなのかつかめない悩みを、「ブス」は抱えているのだろう。
 ドラマに出ていたモデルの子(役柄上)くらい、自分のことを「きれい」とか「かわいい」とはっきりと信じて行動している人は限られているだろう。しかし、「自分はどちらかといえばかわいいほうだ」ということを自覚しているだろう人は、自分の周りでも見かける。自分の見た目やしゃべり方が、それだけで相手や周りの人に好印象を与えるということを知っていて、それに合わせた対応や話の進め方をしている。相手に合わせられないよりは合わせられるほうがすごいはず。そう思って、大人だな、と考えることにしている。だけど心の奥で本音が渦巻く。自分にはどうやってもそんなことはできないのだ。ダイエットなど、できる努力もあるだろう。でもたとえ整形したとしても無理な部分があるのだ。子どもが自分の家の経済力をどうにもできないのと同じくらい、どうにもならないことなのだ。お金持ちの子の新しいカバンを眺めるのと同じように、複雑な気分を味わう。
 そして、「自分がどちらかといえばかわいいとわかっている人」には、親切な人が多い気がする。これはお金持ちの子の多くも同じかもしれない。子どものころから大切にされているので、人のことも大切にする余裕があるのだ。だから、彼女らを責めるわけにもいかず、ますます複雑な気持ちになる。
 それに、こういう顔に生んだ両親にも、育ててくれたことに感謝している。悲しくても、やり場は神とか前世とかこの世以外にしかない。

 このドラマは、「恋に見た目は関係ない」と言っているのではないと思う。稲垣吾郎扮するおさむが美幸を見初めたのも、一目惚れだった。
 見た目が関係ないのじゃない。その見た目が、そのままがいいのだ。その見た目が生きる場がある。その見た目こそが好きだという人がいる。
 泣けます。


 村上隆さんのアートワークを持ってきましたね。「ブス」という言葉の入ったタイトルなのに、絵やフォントでかわいらしさを出していて、「ブス」に抵抗のある人をも入りやすくしていると思います。これが加わったことについて私にはプラスの効果しか見えません。
by hyuri07 | 2006-04-12 00:24 | テレビ


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