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映画『恋の門』。

感情がもってゆかれる。そんな気にさせられる。

(以下多少ねたばれあり)

(監督:松尾スズキ)



細かく検証していったら、あの伏線を活かしきれていないとか(コスプレ風俗とか)、筋の通らない点がいろいろと見つかるのだろうと思う。でも、それは考えなくてもいいかなという気にさせられた。この映画は感情に、右脳に訴えかけているのだ。

そこまで書いて風呂に入ったら、考えがまとまってきた。

いろいろなことが中途半端なのは、この映画のテーマが「恋」だからだ。
売れるものと書きたいもの、借金、コスプレ、親子関係、鞠藻田さん、父母、頑張ること、など追求できそうなテーマがいろいろと詰まっている。でも、それらは徹底的には追及されなかった。それがここに描かれる意味や必然性が、はっきり示されていたとは言えないだろう。
でも「恋」については追求されて、一つの答えがはっきりと示されていた。それに気付いたのはいちばん最後の恋乃のせりふを聞いたときだ。そこからさかのぼると、この映画で主張されている「恋」に関することが、次々に解き明かされていった。この物語の鍵となる小道具「石」が、恋というテーマを描いている。他にも、せりふや、歌まで使って、テーマを何度も示している。見ているときは画面や話を追うのに必死でなかなか気付かない。でも、思い返すと、あれもあれもそうだったのかと、腑に落ちる。恋に関することだけは。
その他の要素を全部削ぎ落として、恋に関することだけを書いても話は成り立つのだろう。だけどそれをしない。松尾スズキさんは詰められるだけ詰めたのではないか。劇中アニメも庵野秀明監督に作ってもらう凝りようだ。そしてその庵野監督安野モヨコ夫妻はじめ、カメオ出演や友情出演がとても豪華。松尾さんにとって、言いたいことはそういう詰められるだけ詰めたごちゃごちゃの中になければならないのだ。松尾さんにとってそれこそがリアルに感じられるのではないか。その感覚はなんとなくわかる気がする。人生は世界は、そんなにわかりやすいものではないのではないかという気がする。
もしかしたらそのごちゃごちゃは門くんの部屋にも表されているのかもしれない。
それでも松尾さんは言いたいことが伝わるかどうか不安である部分があったのかもしれない。だからこそ、せりふで歌でと、言いたいことを繰り返し強調したのではないだろうか。これでわかるだろう、でも本当に伝わるだろうかという心の揺れは、門くんにも通じるものだ。だからこそ松尾さんは、この映画で、「売れるものか書きたいものか」というテーマに、はっきり答えを出さなかったのかもしれない。

門くんは魅力的だと思った。人に伝わるかどうか不安を抱いても、どうにも曲げることのできない自分の世界を持っている。恋乃が恋をするのがわかる。恋乃の強さも魅力的だ。


「恋」に関して松尾さんが言いたかったこと、書くのは野暮という気がするので書きません。
by hyuri07 | 2007-12-14 00:54 | 映画


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