カテゴリ:文学( 229 )

よしもとばなな「スウィート・ヒアアフター」。

読み始めて数ページで、はたと二度見した。ページをめくり返した。
読み始めて数ページで死んでしまう、主人公の恋人は、うちの旦那と同じ名前だった。

幽霊アパートのモチーフは、私がすごく好きな短中編集「デッドエンドの思い出」の中の「幽霊の家」という話にも出てくる。そして、恋人がいなくなった後に恋人じゃなくてそばにいてくれる男性というのも、同じ本の表題作「デッドエンドの思い出」に出てくる。死にかける体験をした話も、南の島が出てくる話もあった。つまりは吉本ばななさんが何度も登場させたくなるような、とても気になるモチーフを使ってこの作品はつくられているということだ。

しかしあとがきを読むと、この小説は東日本大震災を「あらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、すべてに向けて書いたもの」だという。そして被災地の読者からは読んで「安心した、息がつけた」という感想のメールをいくつももらったそうだ。
見たことのあるモチーフの中に、これは見たことがない、というモチーフも出てくる。吉本ばななさんの小説ではいつもそうだ。でもこの本の最大の「見たことがない」はラストだった。主人公の小夜ちゃんは新しく見える世界で、新しい恋人と生きはじめる、もしくはそれを予感させるように終わるのかと思った。でも違った。自分のことを好きかもしれないと思った人は別のものを見ていた。「私の目が傲慢だったんだ」と小夜ちゃんが思う、その言葉を気に入ってしまう。そして洋一のことをこれからも思いながら生きていく、少なくとも、まだしばらくは。もちろん小夜ちゃんは自分でも言っているように、いつかは誰かと結婚して子どもを産んだりもするのだろう。だけどまだその気配は見えない。そしてそうなったとしても、洋一の作品の諸々の権利の一部は小夜ちゃんが持っているし、これからも作品の管理は小夜ちゃんがするのだろう。形が変わったとしても、小夜ちゃんが洋一から全く離れて新しい生活を送る、ということには、小夜ちゃんが強く望まない限りならないだろうし、小夜ちゃんはそういう道を選ばなさそうな気がする。新恋人がそれを理解してくれるか、不安にはなるだろうけれど、それでもどうにか。

「息がつけた」のって、だからなのかな、このラストだからなのかなと思う。忘れなくていいんだと。思い続けてもいいんだと。まぶいを取り戻しても、取り戻さなくても、どちらでもいい。新しい方へ進んでいく話ばかりがメディアに登場するように思えるけれど、それに限らない。

そして個人的にも、名前のせいで、小夜ちゃんがこれからも洋一のことを思ってくれるのはありがたい。
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by hyuri07 | 2017-10-08 03:01 | 文学

もりともんじ筆文字展「岐阜の息吹」@伊吹堂。

文字だけじゃない。

岐阜の素敵なところがいっぱい書いてある。岐阜に住んでいる人でも、すべてを知っている人は少ないだろう。仕事柄あちこちを回っているはずの私でも、全ての画像が頭に浮かぶか微妙なところ。もりともんじさんはお仕事を通じて、岐阜のいろいろなことを知っている。他の人が知らない、岐阜の素敵な顔を知っている。私ももっともっと頑張らないと、と思う。
そしてそれらを対岸から眺めるだけでなく自分のものにして、愛情溢れる眼差しを注いでいる。うちの職場の先輩方は「対岸から眺める」型の人が多く、それはそれで客観的な見方ができるのだが、自分のものにして愛情を注いでしまうのもいいなあ、と思った。しんどくなったら、そのときに考えればいい。もしかして女子はこのほうがやりやすいのかもしれないし。試してみる価値はある。
あたると評判の10円おみくじも引いてみた。確かに、当たっている気がする。そんなことを話していたら、いつのまにかもりともんじさんのカウンセリングを受け始めていた。私のもやもやっとした不安を整理して問題点を浮き出させて、ずばっと答える。ああ、そのお人柄があるから、このおみくじはこんなに当たるんだ、もりともんじさんの文字はこんなに魅力的なんだ、と思った。もりともんじさんのお人柄がにじみ出た言葉があるから、この文字は目が離せなくなるのだ。

伊吹堂さんは木の内装がなんだかとても落ち着く雰囲気を醸し出している喫茶店。コーヒーもとても美味しかった。ランチも美味しそうだった。。
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by hyuri07 | 2011-12-31 01:06 | 文学

津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』。

恋人がいなかったら、こんな感じやろうか、私。

冒頭の奈加子の描写に心つかまれる。仕事を忙しくしていて、それ以外のことに投げやりになってしまう感じ。絶え間なく仕事をしている感じ。そして、重信の散らかった部屋にも親近感をおぼえる。少しだけ自分を許してもいいような気がする。
でも、これで仕事も「できない」と感じると、自分には持っているものが何もないように思えてくる。仕事がひとつ終わってそれほど忙しくなくなるのが怖いのは、そういう自分と、そしてくしゃくしゃになっている生活と、向き合わざるを得なくなるからだ。
しかし読み進めていくと、奈加子は効率よく仕事を片付け、会社帰りに買い物に寄るなど、意外と時間に余裕があることがわかる。
(続く)
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by hyuri07 | 2011-12-23 00:32 | 文学

みずず。

「インタビューの原稿を書いていると、ときどき、定年間近のおじいちゃん記者になりたいと思うことがあるの。」

お世話になっているベテラン女性編集者さんのお言葉。
聞いていた私とカメラマンさんは、含蓄深そうな言葉にうなずきそうになりながらも、「え…?それは、どうしてですか?」と聞き返した。

おじいちゃんになるまで、いろいろ経験を積んでいたら、相手の話をより深く聞けるし、理解できる。それに定年間近なら、いろいろなしがらみなどを気にしないで、相手の懐により深く飛び込めると思う。どうしても女性と男性では、飛び込める距離が違うような気がすると。若い人が書く文章を読むと、取材しているものや人に書き手が追いついていないと感じることがあると。

なるほど、と思った。
確かに、自分がインタビューをするときも、後で文章を書いてみると、私と、一緒に聞いていた先輩とで解釈の違いが発覚することがある。そのたび、「いったい相手は本当はどう思って言っていらっしゃったのか、どう書くべきか」と相談して、お互いに許容できる表現に落ち着ける。でもその方の言葉を聞いて、聞く人によって受け取り方が違うというのは、当たり前のことなのかもしれないと思った。自分の理解できる範囲内でしか、相手の話を理解できない。もしかしたら、私にはとらえきれない、相手の心の動きや行動があったのかもしれない。
(続く)
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by hyuri07 | 2011-08-21 23:26 | 文学

池永陽『コンビニ・ララバイ』。

一見、設定を切り口にした実験的な小説のように見えるけれど、
身体という視点が貫かれている。

それも、現代の一般の人から見ればわりとまっとうな主張だ。援助交際をするとその人の何かが減るとか、好き同士なら体の関係がないとおかしいとか。そういうことを正面切って言っている文学作品というのは出会ったことがない。そういう意味では新しいし、他にない。学生のころだったら、レポートが一本書けていただろうなあ。
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by hyuri07 | 2010-11-08 01:17 | 文学

角田光代『対岸の彼女』。

女子同士の関係がリアルで、ぬるっとした手触りまであって、気持ち悪いくらいだった。

幸いにして私は、現時点ではこういう問題に悩まされていない。職場は男性が多いし、お姉さまがたもとても優しかったり、さばけていたり。人生でもめったに出会えない、運のいい状況にあるのだと思う。過去にはこういう問題に悩まされてきたし、これから先にも悩まされるときが来るのだろう。
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by hyuri07 | 2010-10-14 02:00 | 文学

佐々木譲『廃墟に乞う』。

主人公が事件を解き明かす道筋を、ともに追う。それらは短編の紙幅をいっぱいに使って、何層にも深く折り重なった事件だ。

事件の底まで降りつくと、主人公の仙道には答えが見えてくる。残りわずかな紙幅で解決への道筋が示される。逮捕される瞬間なんかは、ばっさり無い。短い中に必要なところだけを書く方針が貫かれている。

休職に至る心の動きや、精神的に爆弾を抱えている感じの表現はちょっとわかりづらかったかも。
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by hyuri07 | 2010-10-12 00:18 | 文学

長良川薪能。

長良川と金華山を背景にした舞台は、ほんまにほんまに綺麗やった。

You Tubeで狂言を予習しておいたのだが、わからなかった。笑っていいのかわからない。どこで笑っていいのかわからない。舞台の人たちはみんな真面目な顔をしているし、動きは美しい。普段見ている漫才やコントなんかとは違う。突っ込みどころがどこなのかわからない。
でも当日、周りの人は笑っていた。それを聞いてやっと、あ、笑っていいんだ、ここで笑えばいいんだ、とわかった。現代の話でなくても、言葉遣いも衣装も現代と違っても、同じ話で笑えるものなのだなあ。
もしかしたらそれは、同じ話でも、現代の人に伝わるように少しずつチューンナップされているのかもしれない。それがどこなのかはわからないけれど。同じことをやるためには変わり続けていなければならない、と、誰かが話していた。
そこから時間が経って夜。家でテレビのチャンネルを回していたら、はた、と手が止まってしまった。NHK教育でやっていた文楽。そのまま見てしまった。驚いた。今までそんなふうに見たことはなかったのに。夕方の舞台が、思った以上に頭に残っていたらしい。
萬斎さんは、伝統文化を継承していくために演者はもちろん「お客さんも大事」と話していた。そのお客さんというのも、最初から狂言がわかるわけではない。でも実際にその場で他のお客さんと一緒に見てみると、なんとなく見方がわかってくる。その魅力にひかれてしまう。お客さんを育てるために、生で舞台を見る機会を作ることがこんなに大事とは。身をもってわかったのだった。
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by hyuri07 | 2010-08-30 01:42 | 文学

20世紀美術への招待状@岐阜県美術館。

この人も、なかなかうまくいかずに苦しみながら、自分の思うことを表現しようとしている、
と思うと、そんな跡を見つけると、自分も励まされたような気になるのだった。
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by hyuri07 | 2010-08-26 01:50 | 文学

ネイチャー・センス展@森美術館。

何かを考え始めるきっかけになりそうな、inspiringな。

栗林慧さんの作品が印象に残った。虫の目。知らない世界が広がっていた。ポスターでは伝わらない。
冒頭の館長さんのあいさつ文には、natureの訳語のことなんかも書いてあったけれど、どうも展示作品はそこまで考えていないような気がした。それでも、inspiring。

(続く)
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by hyuri07 | 2010-08-20 01:01 | 文学