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沿線。

先日、テレビ「フランス語会話」で、映画「コーラス」の監督であるクリストフ・バラティエさんへのインタビューが放映されていた。そのとき、インタビュアーのパトリスさんが、「子ども時代は最も重要な時期」ということをおっしゃっていた。
そうなのか、と思った。
子ども時代よりも今のほうがいろいろなことを感じているような気がするし、最近考えたことのほうが、自分が今やっていることに影響を与えているのではないかと思う。
でもいわれて考えてみたら確かに、文学の研究にしても子どものころから本を読むのは好きだったし、音楽にしても子どものころからピアノをやっていて好きになった部分が大きいと思う。
でも、いまいちばん惹かれる職業は、子どものころ考えていたこととは違う。
そう考えると、惹かれる職業ではあるけれど、子どものころからしたかったことはあきらめてしまっていいのかな、後悔しないかな、と思う。子ども時代が重要だなんて言われたら、なおさらそう思う。
答えはまだ出せない。
今日もaikoの「三国駅」を聞いていて、
「スカート揺れる光の中の
あの日に決して恥じない様に」
という歌詞を口ずさんだとき、涙が流れた。
私は今、あの日に恥じないように生きていないんじゃないか、と思った。
あの日描いた夢は、あきらめてしまっていいのかな。
あの日描いた夢のとおりでなくても、あの日に恥じないと言うことは可能だろうと思う。
でも今の私にはそう言えない。

aikoが「三国駅」を書いた年齢に自分がなるまでに、恥じないと言えていたらいいのだけれど。
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by hyuri07 | 2005-04-30 01:48 | そのほか。

「僕の彼女を紹介します」2(ねたばれあり)

映画を見ながらこっそり、自分なら、と考えた。
彼女のような状況になったら多分私も、生きてはいられないと思うだろう。
誰かが止めてくれないと、自分では止められないだろう。

でも、私が死んでも、恋人に後を追ってほしくはないなぁ。
まぁ、そんなことはしないだろうけれど。
私が死んでも恋人には幸せに生きてほしい。

あと、この映画のような状況でなかったら、
私は後を追えないかもしれない。
後は追いたくない。死にたくない。
だから恋人には、他にはそんなに求めないから、死なないでちゃんと生きていてほしい。
後を追えなくてごめん。
でも、今の私にできるのはそういう恋の仕方なのだと思う。
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by hyuri07 | 2005-04-29 02:00 | そのほか。

「僕の彼女を紹介します」

最初は、韓国の警察はこんなに民主的でないのか、と思った。警官が殴ったり、区議会議員の圧力に屈しそうになったり。それから、こんなに銃を使うのか、とも思った。こんな警察では安心して暮らせない、とか、ありえないのではないか、と思って、気持ちがさめた瞬間も、確かにあった。
でも、後半は、ぼろぼろ、泣き続けた。
泣かせようとしている、ということを感じても、それに乗るしかなかった。泣くように、泣くように、話は作りこまれていた。
主人公二人の職業が警官と教師という固い職業であることも気になった。日本のドラマや映画では、二人ともというのはあまりないのではないか。韓国では確立されている、女性も就ける職業なのだろうかと思った。もしかしたらそうではないかもしれないけれど、文化による職業観の違いを知ったら、また違った見方ができるのだろうと思った。X JAPANの曲の受け取られ方もまた韓国では違うのだろう。
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by hyuri07 | 2005-04-28 00:53 | そのほか。

「世界の終わりという名の雑貨店」

「好きな服を着てると、勇気みたいのが出るんです。
それを着ているときだけ、本当の自分に戻れるような気がして。」

この言葉の特異性、独自性にひきつけられて、私はこの映画がずっと気になっていた。

画面とか映像とか構成とかは「めちゃくちゃいい」というところまではいかなくて、未完成なところが残っている。それでも、いいところが印象に残る映画だった。
静かな場面が続く。思い切って音楽をなくしている。音楽が流れるのは、主人公胡摩の感情が大きく揺れる場面、だと思った。
制服から着替えた瞬間はやはり、衝撃的に映った。本当に、彼女は生き生きとし始めた。皆と同じ服から、自分だけの服へ。
でも服のことはこの映画の一部だった。もっと大きいものがこの映画にはあった。

高校時代。
こんなに繊細な時代でもあるのか、と思った。
私はずいぶん図太く過ごしてしまった、と思った。授業をさぼったこともない。そこには何か、風邪が吹きぬけるようなものがあったような気がする。そのことにも出会わなかった。
私は十代を過ぎてしまった。でも、十代とは違うおもしろさに、今は出会えると思う。
16歳には、できないことがある。その悲しさも、この映画の空気の中に含まれていて。
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by hyuri07 | 2005-04-27 02:32 | モード論

みどりなく。

また奥山さんのページへ行ってやっとサイボーグお母様からのメッセージを読む。また泣く。
いろいろなことがありながらも、静かに息を引き取った奥山さん。
今日突然、事故で命を落とした方々。
彼らもまた日記をつけていたのかもしれない。ブログを公開していたかもしれない。
・・・でも彼らのブログを検索する術はなくて。もしかしたらネットの並みの狭間に埋もれてしまうのかもしれない。ある日突然、更新されなくなったまま。でも、まさかそんなことがあったとは気付けない。
・・・ご冥福をお祈りしています。
まだ、閉じ込められている方々が、早く救助されますように。
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by hyuri07 | 2005-04-26 01:15 | そのほか。

Everything I do, I do it for you.(F12005サンマリノGP)

山田優がしゃべれるようになっていた。それもかなり的確に。F1を全く知らない状態でキャスターとなって三年。車種とドライバーを覚えて、ルールも覚えて、ピットイン、ファステストラップ、コースアウトなどを指摘する。以前はよくわからない応援コメントなどを言わされていて、こちらもF1の発展のためにはタレントが入るより仕方ないよなあ、と思って我慢しているという感じであった。しかし、今は実に自然に中継に口を挟む。
成長してるなあ。毎週じっと見ているのだもんなあ。しかも、年に何回かは現地で。それはかなりのF1ファンでもできないことだ。そこまで見ていたら、好きになるし、詳しくなるだろう。しかもこの三年の間に本業のほうでもドラマ出演などが増えてきた。よかった、よかった。

そして、最後は目が離せないレース展開になった。アロンソとミヒャエル。ミヒャエルがあっさり抜くかと思った。結構重い燃料を積んでいるときからラップも速かった。しかし抜けなかった。アロンソが周回遅れの車を抜かなかったこともやはり影響しているのだろうかと思った。そのために速度は抑えられ、最後のあたりはその二台はファステストラップより五秒くらい遅いラップタイムだったようだ。最高速を競えば抜かれるが、同じくらいの速さで走っていれば、速さで抜かれるチャンスを減らすことができる。しかしもちろん、それだけではない。一つミスすれば抜かれてしまう。それを10周以上。23歳。精神力。・・・抜かれなかった。新しい時代が来た、かもしれない。
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by hyuri07 | 2005-04-25 01:55 | テレビ

td2。

 まず、前回よりもわかりやすい、と思った。
 なぜ、わかりやすいと思ったのだろうか。前回のはビデオでもう一回見てようやく理解したという感じだ。古典落語と現代の話のひっかけかたが前回よりもわかりやすかったということもあるだろう。しかしそれだけではないような気がする。古典落語の話そのものがわかりやすかったせいなのか、知っていたからか、どん兵衛さんの落語を一度聞いたら、古典のほうの話とおちをすっとつかむことができた。だから後半の現代の話もよくわかったのではないだろうかと思う。
 「饅頭怖い」は小学校高学年のころに、子どもに話をする会みたいなものに入っている先生が話してくださったのを覚えている。私はとてもとても笑った。私だけでなく百人くらいのその場の子どもたちに大うけだった。その後、「寿限無」を話してくださったときにも大笑いし、そのことを家で話したら、父が「寿限無」の載っている落語の本を出してきてくれた。その中に「饅頭怖い」も入っていて、あれも落語だったんだ、と思ったのを覚えている。そんなわけで「饅頭怖い」は、私が筋を知っている数少ない古典落語の一つだった。
前回は、芝浜の話やおちを初めて聞いたので、まず頭の回転の遅い私は一回聞いただけではおちをよく理解できていなかった。現代の話のパートに入っても、元の「芝浜」がどんな話だったか、うっすらとしか覚えていないために、どう対応しているのか、どこをどう変えているのかがはっきりわからず、100%楽しみきれなかったのではないかと思う。
 他のブログに書かれていたことを見て検証したことなのだが、確かにこのドラマ、古典を知っているとより楽しめるようだ。特に、一度聞いただけでは落語のおちがどういうことかわからないというときがある、という私と同じような方はそれがいいのかもしれない。事前に知っていれば、何度も聞いたり読んだりすることで、ああそういうことか、と話が腑に落ちてから見ることができる。現代の話のパートも、そういうことかと、より腑に落ちるだろう。古典のほうが腑に落ちていないと、前回の私のように、現代のほうもよくわからない、ということになりかねない。
また今回の私の場合、「饅頭怖い」は子どものころ大うけした体験と共に覚えているので、一つ一つの筋まで、ほとんど身につくくらいになっていたようだ。だから現代の話のパートでも、頭のどこかで勝手に古典のほうも浮かび、二つがだぶり、二重奏を始める。そうなるとやはりおもしろいのだ。その日初めて聞いた話だと、「どうだったっけ?」と、古典のほうを思い出すのにどうしても時間がかかってしまう。
ただしそれは、このドラマを初めて見たときから、このドラマの持っているおもしろさを最大限に感じたい、という人の場合である。古典を知らなくて最初はよくわからない部分があっても、私のようにビデオでもう一度見直したら、古典も意味がわかるようになってくるし、現代の話もよりおもしろくなってくる。そういう意味では、何度見ても楽しめる、二度目はより楽しめる、スルメドラマともいえる。くどかんさんの作品は今までもそういうものが多かった。
 落語と絡めるのだから、話をとにかくおもしろいほうに発展させればいいというわけではない。制約がある。でもきっとくどかんさんならその制約があるからこそおもしろくしてくださると思う。きっと、もっと。まだまだ期待しています。
 最後に、メグミになぜあんなにたくさんの人々が惚れるのか、女としてはよくわからない部分もあるのですが、どうも男子にとってはああいう子が有無を言わさずいいらしい、という考え方をすることにしています。…ああいう子がいいのですね。
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by hyuri07 | 2005-04-23 17:24 | タイガー&ドラゴン

明るい雨。

奥山さんについての記事を書いた後、ベッドに入っても眠れなくて、奥山さんのことばかり思い出されて、涙が流れた。
ふと、奥山さんにもこうやって涙した夜があったのだろうと思った。
お涙頂戴の文章にはしたくないと常々言っていた奥山さん。
書かないだけで、きっと、そんな夜が。
きっと、いつも山形からやってきてサイボーグと言われる動きで奥山さんを支えたお母さんにも。
お父さんにも、弟さんにも、妹さんにも、周りのお友達にも。

少し前に木藤亜也「1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記」を読んだ。
奥山さんの日記をいつも読んでいたから、彼のコンセプトとは違って、この作品は、「涙」という言葉がタイトルに入っている。共感できるかな、と思いながら読み始めた。
でも違った。彼女が涙を流すのは、優しいからだ。自分になにかしてくれる人に感謝して。周りの人の悲しみを悲しんで。相手の気持ちを深く汲むことができるからこそ、涙を流すことができるのだ。
涙は弱い人のもの、というわけでもない、と思った。
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by hyuri07 | 2005-04-23 01:21 | そのほか。

あぅ。

昨日書いた文章が消えてしまった!
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by hyuri07 | 2005-04-23 00:22

10年。

奥山貴宏さんが亡くなった。
私が風邪で寝込んでいる間だった。

毎日のように、彼のサイトを開いていた。
それは彼が生きているかどうかを確かめることでもあった。

でも、それだけではない。
彼の文章を読むのはいつも楽しみだった。

奥山さんの病状が悪化しているらしいということを、周囲の方々の日記で薄々知っていた。
ブログの言葉が今までの奥山さんと少し違うことにも気付いていた。(口述筆記になっていたのだ。)
でも、薄々だからこそ、きっとまた更新してくれると信じることができた。

「死にたくないな。」
私も、あなたに死んでほしくない、と思った。

でも、一度も、コメントはつけられなかった。BBSにも書き込めなかった。
書いては消した。
どう書いても、私の中途半端な言葉は、奥山さんに恥ずかしいような気がして。

勇気が出なかった。いつも。
少し悔やむけれど仕方ない。

もう、ページが更新されることはないらしい。

伝説になんかなってほしくなかった。
ずっと生きていてほしかった。生身の現実でいてほしかった。

でも、それはもうかなわないらしい。

勝谷誠彦さんの日記を読んで初めて涙が流れた。

いつか、奥山さんに恥じないように生きたい。
太い人生を送りたい。
ただ長く生きるのではなくこれをしたい、というものと共に生きたい。

また、だめ人間でもいいや、と思うのかもしれないけれど、
それだけじゃ嫌だ、別の道もある、と、今思う。
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by hyuri07 | 2005-04-20 23:29 | そのほか。