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いろいろあるよ。(F1マレーシアGP)

やー琢磨かっこよかったなぁ。

「車の持っている何倍もの力を引き出してくれた」
あぐりさんの言う通り。
車のパフォーマンスがよいとは決して言えない。
でもそれに文句を言うだけではない。今あるものの中で最高の結果を引き出す。
それがあぐりさんにこう言わせる。きっとほかのクルーも同じような気持ちなのだろう。
「早く、彼にもっといいマシンを渡したい」

きっとそれは、琢磨がホンダで戦って強くなったからだろう。
もともと早かった。オーバーテイクに向かう強さがあった。しかしそれだけじゃなくなった。バトンとともに走る中で、粘る走りを身につけた。あのオーバーテイクを失わないまま。
今日はその強さ、頼もしさを、ひしひしと感じた。
インタビューでも、前向きなことを話していた。

井出さんにはまだそういうものはあまり感じられない。インタビューを聞くと、なかなか仕上がらないマシンにやはり不満があるようだった。
でも、きっとすぐにはできないのだろう、と思った。琢磨だって最初は、腕の強さだけが先走って、無理な走行をしたりしていたのだ。
最初からすごい人なんてなかなかいない。強いドライバーになるには、時間や経験が必要なのだ。そして、井出さんのその強い気持ちは、彼が強くなる可能性を感じさせる。

シューマッハーは、いろいろな事情はあるにせよ、マッサを最後まで抜けなかった。不安をより強く感じてしまいました・・・。
バトンも結構いい走りをしていたけれど、ルノーの二台はその上を行っていた。うぅーん、ホンダがルノーよりよい車をがんと作ることはできるのだろうか?作ってほしい!ルノーのミス待ちはちょっとつまらない・・・。
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by hyuri07 | 2006-03-20 02:03 | スポーツ観戦。

上腕部。

会う人一人一人に謝りたい。

日曜の夕方が嫌いだ。
スーパーは、遊びに行った帰りの親子連れで賑わう。
私は、一人だ。
どうしても家族のことを思い出してしまう。
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by hyuri07 | 2006-03-18 17:08 | 日常生活。

三分に一度。

いろいろなことができなくて泣きたくなる。

首をつって自殺していたという小五の男の子
担任の先生の注意だけが原因とは言えないと思う。
でも注意をきっかけに自殺したくなってしまう気持ちはわからなくもない、と思った。

死にたいと思うことはけっこう多くの人にあるのかもしれない。
実行にいたるまでに、それを止めるひっかかりをできるだけ多く、また強力に作ることが必要なのかなあと思った。
あなたが死ぬと悲しむ人がいるということ。
人生にはこの先いいことがあるかもしれないということ。
生きたくても生きられない人がいること。
死にたいと衝動的に感じた人に、それらを知らせる存在が必要なのではないか。
何もなかったら、一人だったら、死にたくなってしまうのかもしれない。

公共広告機構の栗山千明のCMは好きです。初めて見たとき「やられた」と思いました。
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by hyuri07 | 2006-03-18 14:40 | そのほか。

池。

高校の同級生がなくなったという連絡をもらう。

…ひとり、宇宙空間に放り出されたような気分になる。
私がいつもよりかかっているものがすべて取り去られたような、不安定な気分になった。
自分が生きているということがすごく不確かに思えた。
私は生きているのに、彼は死んだという。

児童殺傷事件があった付属池田小学校の卒業式の答辞の中に、
「命の切なさ」という言葉があったと、ニュースで聞いた。
彼のことを聞いて、その言葉を切実に思い出した。
命はときに、突然、終わってしまう。

彼が得意だったスポーツを、最初に思い出した。
アルバムは実家だったので、文集を手にした。
似顔絵が得意だった彼に、先生の似顔絵を頼んだことも思い出した。
ずいぶん強引に頼んでしまった。
ひどい委員に、彼は困りながらも、絵を描いて渡してくれた。

ありがとう。

卒業してからは会っていなかったけれど。
得意なスポーツを続けていたのかな。
そういえば、最初に連絡をくれたのは、同じ部活に入っていた子だった。

正月に同窓会をしたばかりで、連絡先を何人かと交換していたから、連絡が来た。
彼は、同窓会には来ていなかったけれど。

みなで集まろうと言った24歳まで、みなは元気で、
それが終わって離れてしまった。

人の死って何なのだろう。
誰かが死んでも、泣いたりわめいたりする人なんて、ちょっとなのかな。
すごく近い人は、お葬式の間中ばたばたして泣く暇なんてないかもしれない。
そしてそこまで近くなかったら、悲しい感情が生まれるものの、なかなか泣くところまで気持ちが振り切らなくて。
少し悲しい気持ちがあっても、昨日と同じ日をこなす。

人はいつか死ぬ。
死ってそんなに、暮らしの周りにたくさんあるものなのだろうか。
どれくらい悲しいものなのだろうか。
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by hyuri07 | 2006-03-17 09:02 | そのほか。

拾う。

手書きで提出するエントリーシートの下書きをパソコンで書いていて気づく。
パソコンだと、わりと早く、空欄を埋めるだけの文章ができていく。
しかし手書きのシートのほうに清書しようとすると、「ここはいらない」という部分を、次々に見つけてしまう。
手書きできれいに書くのは大変だから、できるだけ余計なことは書かないようにしようという心理が働くのだろうか。パソコンなら下書きも清書も同じスピードでさっさと書けるから、つい余分なこともつらつらと書いてしまうのかもしれない。書いてしまうと、「せっかく書いたから」と、ばっさり切り捨てることがなかなかできずそのままになってしまう。
このブログもパソコンで書いているから、いらない部分が多いのかもしれない。できるだけ削るようにするべきだなあ。もったいないけれど。
そして、それを削ったら文章全体が成り立たなくなるくらいの文だけで、長い文章を書けるようになりたい。
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by hyuri07 | 2006-03-16 03:26 | 文学

茗荷。

 どうしてもしたいことがあるなら、続けられるかどうか考えないで飛び込むこともありかもしれない。続けられないとあきらめることを、ネガティブと捉える人もいるだろう。
 それはひとつの価値観だし私もわりといいかもと思う。
 でも、どうしてもしたいこと、というのは、私は持たない。
 また、続けられるほうを選ぶことも、その人にとって幸せなことかもしれない。その人にとっては、三年での離職より、ながく働くほうが魅力的なのだ。
 私にとって「続けられるかどうか」ということは、「嫌なことではないか」ということだ。興味ある分野のことなら、厳しいこともできるかもしれない。しかしたとえそのような分野のことだとしても、人に何かを押し付けるようなことはしたくない。それよりは、少しくらい興味ある分野と離れても、確実に人の役に立てることをしていたい。今日どんなにつらくとも、明日もできるか、それが自分の日々の一部に溶け込めるかということでもあるのではないかと思う。私は弱くて頑固な人間で、嫌なことにはなかなか打ち込めない。長く続けられたら、その分、少しずつでもきっと腕は上がっていくのではないかとも思う。何事も遅いし下手な私だから、ただこつこつとやることだけが、腕を上げることにつながるような気もする。
 やっぱりネガティブな人だと思われるかな。
 それでもやはり、続けられるという感触の全くないものを、選びたくない。
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by hyuri07 | 2006-03-15 03:50 | そのほか。

板の美。

昨日できたことが今日できない。
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by hyuri07 | 2006-03-14 16:29 | 日常生活。

ずーっと。(F1バーレーンGP)

残り五周、シューマッハがアロンソの後ろについたとき、これはまずい、と思った。あと五周もある。これだけぴったりつかれたら抜かれてしまうだろう、と思った。シューマッハはだいぶ後方から追い上げてきたところで、勢いもあった。アロンソと一秒くらいの差がついたときにも、わざとあけているのだろう、と思っていた。
しかしアロンソは抜かれなかった。シューマッハはわざとあけていたのではなくて、つめることができなかったのだ。最後には、二秒ほどになっていた。
「速いシューマッハが戻ってきた」と番組では言われていたが、本当にそうだろうかと思ってしまった。以前のシューマッハーなら確実に抜いていただろう。不安を感じてしまった。
でもね、ひところより速くなくなったからって、すぐに引退しなくていいよ、と思ったりする。ミカ・ハッキネンがあっというまにいなくなってしまったのは本当に残念だったから。ビルヌーヴみたいに、息長く活躍してもらえたらいいな。

しかしチームアグリの佐藤琢磨選手は完走できて本当によかった。
優勝を争うチームになるということは本当に大変なことなのだと、日本人に教えてくれている気がします。
ずっと目を離さず応援します。
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by hyuri07 | 2006-03-13 02:06 | スポーツ観戦。

梶。

そのとき使っている文房具によって、書く中身は変わってくる気がする。
少し太い線になるシャーペンなら、自分も大胆な気分になって、思ったことが書ける気がする。
少し細い線になるシャーペンのときは、整理された線が繰り出されるので、自分も少し賢いことを考えているような気になる。いらいらした気持ちを整理するのにもいい。
大江健三郎さんが万年筆を使い続ける気持ちが少しわかる気がした。自分の作品世界を作り上げるには、それで書くことが必要なのだろう。
私なら、キーボードや鉛筆やシャーペンやボールペンや、いろいろな筆記具を使って、いろいろな世界を書けたら、と思う。
このブログはいつもキーボードで書いている。楽だけれど、私の中のどこかの世界はこれでは書けないのかもしれない。
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by hyuri07 | 2006-03-12 15:54 | 文学

若布。

「考えるシート」 山田ズーニー・講談社・2005年・1365円

ズーニーさんの「ほぼ日刊イトイ新聞」での連載をずっと読んでいた。
就職活動に向けてどうしても自分を振り返る必要性があるを感じたとき、ズーニーさんの本を使おうと思った。いわゆる「自己分析本」はたくさんあって、二年前にはそれに振り回され続けた。そのうちのどれかを信じるならズーニーさんだろう、と思った。

「そのうちのどれかを信じる」というのは、以前書いた「宗教」という話に通じる。
ズーニーさんのコラムやこの本を読んでいて、宗教めいたものを感じることがある。
たとえばこの本の中にある、「つらいときに笑顔を作っても自分はますます消耗した。つらいならその原因となっていることの解決を考えなければならない」という話。
もちろんこれは確かにそうだ。しかし別の考え方もあるとも思う。これは「舞姫 テレプシコーラ」という漫画にあったのですが、
「つらいときは笑顔を作ってみる。できないときは口角を上げるだけでもいい。笑顔でいやなことは考えられない」
という考え方。笑顔を作ることから、悩みが減るという考え方。これも確かに存在するのだと思う。
そういうふうに、ズーニーさんの言うことには、「そういう考え方もあるけれどこういう考え方もある」ということが、わりとあるのだと思う。誰の言うことでもそうなのかもしれないけれど、ズーニーさんの場合、「ズーニーさんの言うのと違う考え方」がイメージしやすい。
「自己分析」で使う中でも、この本のいい部分と、それだけでは足りない部分とを感じている。

それでも、文章からにじみ出るズーニーさんのまじめさとか、身を削って書いている感じがじんじんと伝わってくる。ズーニーさんが好きだ。
この本を使ったことは間違いではなかったと思う。ほかの人の本なら、はじめから、まるで信じられなかったかもしれない。
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by hyuri07 | 2006-03-11 14:23 | 文学