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もうそこへは。

自分では動かしようのないものが、理解できないものが、たくさんある。

だからこそ飽きないで生きていられる気がする。
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by hyuri07 | 2007-10-31 07:07 | そのほか。

それでも時々、布団の中で震えたくなる。
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by hyuri07 | 2007-10-30 01:34

日本臓器移植ネットワーク presents ZIP-FM SPECIAL LIVE SWINGING SESSION 07

<榎本くるみ>
今回のライブの「レッドカーペット賞」ではないか。

ライブが、いい。目が離せない。彼女は、客を盛り上げるために体を動かしているのではない。歌をめいっぱい表現しようとするとき、ああいう動きになるのだ。そこには、人が暮らし話す根幹にあるような、誰もが持っているような、自然なリズムがある。私にも、その動きは理解できる。彼女は歌を、声だけでなく、全身で表現することができるのだ。彼女の感情は声だけでなく身体の動きにも、かなりダイレクトに伝わっているようだ。
家で音源を試聴したときには、ごくふつうのJ-POPかと思っていたのだ。
途中でマイクスタンドをはずすやり方や、曲の途中でステージの左右へ動くあたりには、観客へのアピールも見られる。だけど、無理な動きをしているわけではない。そんなふうに歌えたら、楽しいのではないかと思った。歌は、切実そうだったけれど。
もちろん、声もすごくいい。

またライブを見たいです。


<サンタラ>
家に帰って、いちばん頭から離れないのが、サンタラの「バニラ」。余韻を残す、後から思い出すミュージシャンなのかもしれない。
二曲目のギターがかっこよかった。そしてギターを持つキョウコさんもかっこよく。
キョウコさんにはさすがの華がありました。

<Suzumoku+>
声がすごくいい!!
もとはギター職人だったという。
最初からひきつけられる声でした。
多様な曲を持っていたら、もっと長い時間、たくさんの人をとらえるのかも。


「また、かけたら。
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by hyuri07 | 2007-10-29 00:16

aiko「鳩になりたい」(アルバム「秋 そばにいるよ」)

久しぶりに聞いたら、
aiko、病んでるんちゃうん?と思った。

「愛する人は今日も元気でやってるかな?
くすんだ空 輝いた空
同じ空気を 吸ってるかな?
そんな事考えなくてよくなる様に」
さびの歌詞は三行目までは健気でかわいい。しかし四行目でがたんと落とされる。健気に思うことにすら疲れている。

「あたしだけ遅いのかな 歩くペースは
一緒じゃおかしいよ」
切実な叫びだ。その気持ちはすごくわかる。

移動の車内から池袋だか渋谷だかの鳩の大群を見て、浮かんだ曲だという。
平和の象徴でもある鳩のイメージをうまく使っているけれど、
実際の鳩は数が多いと怖いくらいだ。

あのころのaikoは、疲れていたのだろうなぁ。
私にはどうすることもできなかった。
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by hyuri07 | 2007-10-26 01:35 | 音楽

「シュルレアリスムと美術」続き。

私も昔、心の赴くままに適当な絵を描いていた。私の絵には芸術性がなかったけれど。それでも、マッソンの絵を見て、あんな感じなのかな、と、一方的にすごく共感した。
マッソンの「カップル」の絵も、心の揺れがそのまま表現されているように感じた。キリコの「カップル」は、人がこんな風に見えるのかと思うと、なんだか悲しくなるようなところがあった。マッソンの絵は緑色がたくさん使われていて、愛し合う二人の穏やかさみたいなものが伝わってきた。会場にあったマッソンの絵で、あんなに鮮やかな緑色がたくさん使われていたものは他になかったと思う。

詩人ロートレアモンの「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」という言葉を読み、マン・レイの同じタイトルの絵を見た。本当に美しい。体が固まる思いだった。
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by hyuri07 | 2007-10-25 00:49 | 文学

イメージのお蔵。(「シュルレアリスムと美術」続き)

シュルレアリスムの詩というのもあるらしい。私のタイトルの付け方がその詩と似ているのか、そこまではまだ調べていないのだが。

分野を横断するような研究が、研究者が、どうしても必要だ。
今回の展示ではシュルレアリスムの美術作品だけだったが、文学表現のほうも知りたい。
一緒に展示されたりしたら、おもしろういだろうなぁ。

アンドレ・マッソンの「自動デッサン」にすごく共感した。心の動きを表しているというのが、よくわかる。
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by hyuri07 | 2007-10-24 22:03 | 文学

斧。

「感情の蛇口をぎゅっとひねる」ことを、私なりに言い換えれば、
「仕事だからと割り切る」ということか。
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by hyuri07 | 2007-10-23 23:34 | 日常生活。

でき。

 私が、いろいろな人やものごとに寛容でいられた部分というのは、自分が何もできないから、そしてできないことをわかっていたからなのではないか。
 いろいろなことができる人が寛容であるのは、なんにもできない人が寛容であるより、難しいのではないかと気づいた。
 これから、何かを身につけていかなければならないのだけれど、それでも寛容でありたい。自分ができることが人にできなくても、いらいらするなんてことのないような人でありたい。
 何かができてもずっと寛容な気持ちを持ち続けられる心持ちを切り開いていこう。
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by hyuri07 | 2007-10-23 01:56 | 日常生活。

世界で一番薄情な人。

私の前の記事は、障害をお持ちの方々のことを、「できる/できない」で捉えているようでおかしい、
という意見をもらってもおかしくない。

そういうつもりではないのだ。

ただ、そこに一人一人がいる。
人は皆違っている。いろいろな人がいる、という認識があるだけなのだから、障害をお持ちの方々とそうでない方々の間に隔てるものはない。

隔てているのは、何ができないか、何が苦手か、ということだけなのではないか。
現代の社会で、食べていくのに必要なお金を稼ぎながら生きていくことが難しくなるようなジャンルで、苦手なことがあるということだけ。

「できる/できない」というより「問題なくできる/苦手・できるまでに時間がかかる」と言ったほうがいいのかな。

苦手なことがあるという点で、障害をお持ちの方々と私との間に隔てるものはない。

でも、私ができるまでに時間がかかるのは、努力していないからなのだろうか?

そうなのかもしれないけれど、でも、
すべて努力によってできるようになると考えるのはおこがましいような気もする。

なかなかできない自分をどこまで認めていいのかなあ。

なかなかできない自分を認めないで、常に努力し続けるような人も、
相手にはそのようなことを求めないで、いろいろな人の気持ちを理解することができるのかなぁ。
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by hyuri07 | 2007-10-21 01:27 | 日常生活。

くらすひーろー。

テレビドラマ「Beautiful Life」で、木村拓哉さんが演じる主人公は、車いすに乗る女性と初めて会ったときから、まったく偏見を持っていないという役柄だった。
どうもリアリティに欠ける、と私は思っていた。最初は何らかの偏見があり、それが溶けていくというのが、多くの人の心持ちなのではないかと。初めから全く偏見がないなんてかっこよすぎるのではないか。
今の私は、少しは主人公の気持ちがわかるような気もする。それでも。

それでも、私は仕事の一環で行ったにすぎない。生活の一部にかかわったに過ぎない。
プライベートでもつきあえるほど仲良くなれるのか。
生活のすべての場面でかかわりながら暮らしていけるのか。
実際にそういう場面に立ってみるまでは、「できる」とは断言しにくい。

そう思うと、私が二日間を楽しく過ごしたことにも、偽善が含まれているのではないかと不安に思えてくる。

それでも、本当に楽しかったのだ。不思議なくらい楽しかったのだ。
そこでの時間の流れ方にあっという間に馴染めた。

その気持ちを手元で扱いきれずにいる。
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by hyuri07 | 2007-10-21 00:37 | そのほか。