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曽我部恵一BAND『キラキラ!』3。

天使がおじさんだったのは必然なのだと思う。
青春を奏でるのは若者だけとは限らない。
今を大切にするのなら、おじさんだって。
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by hyuri07 | 2008-05-30 00:39 | 音楽

他部署を通り掛かると同期の子がばりばり働いている。
飲み会で見せる姿とは違う。

私は相変わらずへちょいのに。
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by hyuri07 | 2008-05-29 04:57

つるずる。

M-1バブルは、はじけたらしい。

エド・はるみとチュートリアルがビストロSMAPのゲストに出ていた。
コーナーはエドはるみ押しで進んだ。ギャグでSMAPと共演していた。皆そのギャグをつかてー
2006年M-1チャンピオンであるチュートリアルのお二人。優勝後、「M-1バブル」にのって次々とテレビ番組に出演していた。でも昨日、旬はエド・はるみに移っていた。

お二人に残っているのは実力だ。
ルックスも含め、ブームが去っても、番組に呼びたいという魅力だ。

お二人はとてもおいしそうに食べる。
コメントの前にまず、表情で伝える。見ていて汚いと思うような食べ方はしない。ちょっとがっつく様子からも、ついそうしてしまうほどおいしいということが伝えられる。
もしかしたら、数々のロケの中で、磨かれてきたことなのかもしれない。
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by hyuri07 | 2008-05-28 01:06 | テレビ

曽我部恵一BAND『キラキラ!』2。

昨日の記事を書いてから、CDを聞くまで読まずに置いておいた、ロッキンオンジャパンのそかばんの記事やCDに入っていたsnoozerの田中さんのコメントなんかを読んだ。
しかしどうも、私の書いたものを含め、皆似たことを書いているような気がした。
そして皆、「キラキラ!」を絶賛している。

今が過ぎてしまうということに、思春期はなんとなくしか気づいていないのかもしれない。
その後の人々は、そのことにもっと自覚的なのかもしれない。
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by hyuri07 | 2008-05-27 00:55 | 音楽

曽我部恵一BAND『キラキラ!』。

本当に、キラキラ、していた。

アルバムの最初の音を聴いた瞬間、思わず微笑んでしまった。本当に、キラキラしている。
声も、たとえばランデヴーバンドとは違う。そこには切実さがある。

青春。その切迫感がある。
今は短くて、あっという間に過ぎ去ってしまう。今感じていることを感じなくなってしまう。だから、今思っていることを歌い、表現することに、切実さがある。時間がないという切迫感がある。
その気持ちは皆思春期に強く持つのだろうけれど、その後も持つことだって大いにありえる。
『キラキラ』にある青春はその両方が交じり合っているような気がする。思春期の青春。そして、そこから成長したけれども、今でなくなる前に今思っていることを表現したい、という青春。
その瞬間に必死なのだ。

たとえば「結婚しよう」なんて出てくるあたりに、さまざまな経験を重ねた者の青春を感じる。思春期の青春ではおそらく出てこない。思春期の人々にとって「結婚」は遠いうえに未知で、軽々しく話すことができない。経験を重ねたからこそ、というか実際に結婚生活を体験しているからこそ、
「ぼくはただ今日を生きる鳥のように
あぁ 結婚しよう」
なんて言えるのではないか。

「大人」というのともちょっと違う。
いろいろなことをわかったふりをしない。
経験によっていろいろなことを知ってはいるけれど、
それらと違うことも受け入れられるような柔らかさがある。

「海」「オートバイ」青春ぽい言葉が並んでいるなぁ。

9曲目、今までの突き抜けた感じとは少し違う。甘酸っぱい。切ない。

10曲目。今までの曲とはちがうマイナーコード。よりはっきりと響く。

前半のキラキラしてつきぬけた感じがあって、一度速度を落として、甘酸っぱくて切なくて、もう一度盛り上げて、締める。これくらいの割合だから、切なさがひきたつ感じがする。

12曲目。いちばん収録時間の長い曲。
その気になれば、飛んでいける。だとすれば、飛んでいないのは、自分の努力が足りないからだ。
魔法のバスはどこからやってくるのだろう。どうやったら乗れるのだろう。
魔法のバスを自分で運行させるのかな。

自分の力でいろんなことをどうにもできない思春期の人々なら、魔法のバスを夢みることは自然だ。
でもこのアルバムには思春期の青春とその後の青春がまじっているはずなのだ。魔法のバスも、思春期の人々が空想するだけのもの、その後の人々が追憶するだけのものではないはずだ。

魔法のバスはなかなかやってこない。ソカバンの皆様もきっとそれを知っているのだろう。
それでも、魔法のバスを信じてみたらと、ソカバンの皆様は話しているような気がする。
自分の力ではどうにもならなくなったとき、置いておいたら、魔法のバスがやってくるかもしれない。
やってこないかもしれない。
それでも、生きていく希望の光にはなるかもしれない。

青春に年齢も、経験も、関係ない。
今を大切に生きることが、キラキラ、なのではないか。
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by hyuri07 | 2008-05-25 22:56 | 音楽

ましょか。

今度「sakae sp-ring '08」というイベントに行こうと画策していて、どのミュージシャンを見に行こうか、次々とネットで試聴しながら考えている。

体は一つしかないから、同じ時間帯にライブをするミュージシャンのうち、どの方々を見に行くのか決めなければならない。そのためには、どのミュージシャンが自分はいちばん気に入ったか、どのミュージシャンをいちばん見たいか、決めなければならない。
今まで聞いてきた音楽が蓄積されて、自分の好みが少しずつ確立されてきたようだ。好みの方向に近いのか、そうでないのか、なんとなく判断することができる。
でもそうすると、本当に自分の好みに近い、好きになることのできる音楽は限られてくる。それは傲慢なのではないだろうか。たとえば自分も音楽活動をしていたりすると、それぞれの音楽のよいところがよりはっきりと見えて、好きな音楽が増えるのではないだろうか。
お笑い芸人の方々は、他の芸人の方を見て、お客さんよりよく笑う。笑いの閾値が低いのだと思う。音楽に関しても、もっと閾値の低い人のほうがかっこいいような気がしてしまう。

でも、私は今音楽活動をしていない。そのうえ、自分の好みがないと、膨大な音楽の中から自分の聞く音楽を選ぶことができないのだ。
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by hyuri07 | 2008-05-25 03:39 | 音楽

れいれい。

もう少し髪が長かったころ、職場で髪を後ろでひっつめにしてくくっていたら、先輩アルバイト女性さんに、「シュシュをつけたらかわいいのに」と言われた。
だけど、どうしても、つけてくる気になれなかった。

シュシュ自体は好きだ。二つ持っていて休みの日にはつけていた。
周りの先輩にも同期にも、つけている人はいる。彼女らのつけているシュシュと比べて、自分の持っているもの(のうち一つ)のほうが派手とはいえなかった。
それでも、抵抗があった。

誰も服を着て仕事に行く。その服におしゃれ心がこめられているのかそうでないのかは、すぐにはわからない。
シュシュは違う。シュシュはゴムでくくった上につける。ゴムだけでもくくる役は果たしている。シュシュは明らかに飾りだ。そこにおしゃれ心があるからつけられているのだ。

友達とそんな話をしていた。
「おしゃれする余裕があるなら仕事しろって思われるのが嫌なのかな」
そう言ったら、友達は驚くほど納得していた。
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by hyuri07 | 2008-05-23 00:46 | そのほか。

そちのち。

考古学専門家の先輩が酒の席で、お猪口を見ながら言った。
「我々はものをものとして見る。人のこともものとして見る」。

文学者もものを見るだろう。しかし見て思うことが、考古学者とは違うと思う。
文学者はものに自分の思いを乗せる。そうやって、そしてことばを使って、ものを表現する。
(この例を次回もってきます)

人のこともものとして見る、というのも、わからなくはない。
内容、とか、見えないもの、なんかを理解したり存在を信じたりするのは、苦手なほうだ。
そういう性質のようなものも、表から見てわかる部分があるのではないかと思っている。見た目と、話してからの印象が違う人もいるだろうし、そう信じている人は確かにいると思う。でも、私はやっぱり、人の外見を見るということはその人のまとう雰囲気やオーラをも見ているということなのだと思う。そこにはその人の性質が表れていると思う。

しかしその先輩はこうも言った。
「人との関係を大切にしている」
どう、つながるのか。
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by hyuri07 | 2008-05-22 00:58 | そのほか。

きらいくつも。

メール返信ができない私は、
こどもなのか、
大人なのにできないのか。
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by hyuri07 | 2008-05-21 00:05 | そのほか。

友達論29。

自分の心持ち次第で、周りとの関係は変わる。

でも、どうやって自分の心持ちを変えたらいいのかな。
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by hyuri07 | 2008-05-20 00:47 | 友達論