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野々田ブラザーズバンド@natural cafe&gallery 蔵。

いくらでも、かっこよくなるんだ。
かっこいいものを吹かなくちゃ。
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by hyuri07 | 2009-08-30 06:09 | 音楽

『派遣のオスカル』。

これは、おもしろかった!

『ハケンの品格』から数年たった今、派遣社員をめぐる状況はさらに厳しくなっている。派遣社員を描くという点では共通していても、それぞれの時代を映すようなドラマなら、もう一本あっていいのではないかと思う。
『ハケンの品格』では、厳しい現状を吹き飛ばすのが大前春子という「スーパーハケン」だった。今作では少女漫画、『ベルサイユのバラ』がその役割を担っている。この、漫画とドラマの絡め方がすばらしい。池田先生の全面協力が得られたようで、惜しみなく漫画の場面を使っているように見える。全面協力が取り付けられたからこそ、こんなに面白いのだと思う。
オスカルにあこがれる側であった主人公、その主人公自身が、オスカルと同じものを持っていると言われたときの世界が組み変わるような衝撃、一方で人のことを思いやれないでいた自分の黒い部分から、自分はそんな人間じゃないと心苦しい気持ち。主人公の表情から二つの気持ちが同時に伝わってくる場面は劇的で、脚本の緻密な構成力が発揮されていた。
主人公の田中麗奈さんは素敵だった。きりりとした場面ではきりりと。そして一人、部屋でブログを書くような場面でも、ちゃんと存在感があって飽きさせない。すごい力を持った女優さんなのだと思う。

まあ、もともとは、チュートリアルの徳井さん目当てで見始めたのですが。第1回はそんなに出てきませんでした。
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by hyuri07 | 2009-08-29 01:28 | テレビ

さみしげ。

バカンスは、周りに働く人がいないと成り立たない。
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by hyuri07 | 2009-08-26 07:10 | そのほか。

空はそこになくても。

ライブがあった。
ホールは広くて音響もよくて楽しかった。もう少しお客さんをのせて楽しませるようにできたらいいな。
ソロをもらって、アドリブで吹いて、前回よりはちょっとまともに吹けたような気がする。
「よかったよ」と声をかけてくださった方もいた。

次は、今回以上に吹けないと合格点はもらえない。もっと練習しよう。
曲の雰囲気や目指す方向に合ったアドリブを吹きたいし、ブルース以外のコード進行の曲ももっと吹けるようになりたい。手持ちのフレーズを増やしたい。

仕事やなんかもそうだけれど、
ちょっとうまくいっていると、次の闇がくるのが怖くて仕方がない。
ほめてもらったけれど、あれが今の自分の最大限で、それ以上のものがない。
次に向かって頑張ろうとする前向きな自分が全てじゃない。一皮めくれば、黒い部分が渦巻いている。
仕事だって、お茶を濁してどうにかしのいでいるところが多々ある。
そういう自分は、ほめてもらった自分と遠くかけ離れている。
それが明るみに出て、うまくいっていたことが全部ひっくり返って、うまくいかなくて毎日苦しくて先が見えないような日々が来るのではないかと、心の底のほうがぶるぶる震える。

せめて、今のうちに、皮の下を少しでも磨いておきたい。ほめてもらったところとギャップをなくすのは無理でも、せめて少しでも追いつければ。
そう思って、とりあえず部屋を少し片付けてみたりした。

そんなふうに前向きに捉える自分ばかりでもないのだけれど。
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by hyuri07 | 2009-08-25 00:47 | バンド

簡単な。

なにかがちょっとだけできるようになると、
自信がついて過ごしやすくなる反面、
自慢したり、できなかったときの気持ちを忘れたりして、
人間として問題があるような性質を持ってしまったりしないだろうか。
就職活動時代、唯一言い切れる長所は「謙虚であること」だったのに。
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by hyuri07 | 2009-08-24 00:14 | そのほか。

チャットモンチー『告白』。

何度も聞きたくなる、歌いたくなる。すごい「うた」の力だと思う。

(続く)
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by hyuri07 | 2009-08-20 23:40 | 音楽

友達論50―今日のガールズトーク。

 自分を振り返ってみれば、まったく友達であるという男子は存在する。
 でも、周りを見回しても、男女の二人がとても仲のいい友達というのはあまり見ない。いたとしても、どちらかに恋心があるような場合が多い。なぜなのだろう。
 周りに説明するのが面倒だからなのではないだろうか。男女の二人が仲がいいと、二人は友達だと思っていても、普通、周りはそうは見ない。恋愛関係だと勘違いする。そこで「そうじゃないんです。友達なんです」といちいち説明するのはめんどくさい。だから、男子と友達として仲良くなっても、つい、ちょっと距離を置いてしまうのではないか。
 もしかしたら、そういう周りの目がなかったら、もっといい友達になれた男子もいたのかもしれない。

 友達である男子と、二人でお買い物に行くか。
 私はためらってしまう。二人で会ってお茶したり飲んだり、マニアックな趣味の遊びをしたり、というのならまだいい。お買い物は、その子と二人で行く必然性が薄いような気がする。それなら、彼氏と行きたい。彼氏が女子友達と二人でお買い物に行っていたらちょっとショックを受けそうだ。自分よりその子と買い物に行くほうが楽しいの?と思ってしまうだろう。彼氏に浮気心がないのはわかっていても、ちょっとつまんない気分になるだろう。彼氏がいなければ、また違うだろうけれど。
 さやかちゃん(仮)は、行くという。女子友達とは二人で買い物に行く、男子友達と行くのもそれと同じだと。でも、彼氏が聞いたら変に疑うかもしれないから、女の子と行ったことにしておくと。
 さやかちゃんの言葉は私が考えてもいない世界だったけれど、説得力があった。確かに、まったくの友達なのに、なぜ女子と男子とで区別してしまうのだろう。彼氏にそんなことしてほしくないと思ってしまう自分は、心が狭いのだろうか。自分の知っている女の子と行くのだったら少しは平気なんじゃない?と、さやかちゃん。確かにそれはそうかもしれないけれど。
 でもやっぱり、そこでつまんないと思うから恋が続いていくのではないか、と思った。お互いにぎゅうぎゅう縛らないようにしている分、不意に相手の気持ちが他に向いてしまう可能性はある。その不安が、つまんない気分を呼んでくる。いつも、相手にとってのいちばんでいたい。他の女の子とお買い物に行ったって、そのうちきっと許すのだろうけれど、その子より誰より自分を大事にしてほしい。それが感じられたら、つまんない気分は吹き飛ぶ。そうしてもらえるように、相手にとって魅力的にうつり続けるよう、努力しなくては。

 そしてそのうち、この記事を彼氏が読むわけで。
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by hyuri07 | 2009-08-20 00:27 | 友達論

『硫黄島からの手紙』など。

言っていることは、ハリウッド映画も同じだった。

戦争を扱った最近の作品は、命をささげる姿というよりは、主人公が生きようとする姿が描かれることが多いと思う。そこに視線を注ぐこと、当時生きていた人たちも今の私たちと同じような感覚を持っていたとはっきり伝えることが、若い世代に、戦争は繰り返してはならないと、より強く伝えることになっているのかもしれない。
この作品もそうだ。主人公の西郷は生き抜こうとする。投降することも厭わなかった。
戦場の人々も、軍隊の規律に従う表の姿だけでなく、思い出があったり声が震えたり、人間味溢れる姿が描かれている。「手紙」はその象徴だ。

私の親戚筋にも硫黄島で亡くなった方がいると聞いたことがある。他人事ではない。

辛い場面に何度も目をそむけながら、最後まで見た。

そかばんの「永い夜」を聞いてから、ときどき新聞の国際面を開く。日本以外のニュースが1ページに詰まっているので、一つ一つの記事が簡潔だ。しかも事件の過去の経緯も簡単にまとまって一緒に載っていたりするので、実は読みやすいページだと知った。世界では私の知らない出来事がたくさん起こっている。自分が普段見ている世界の小ささに気付く。
「戦争はたぶんなくならないだろう」と歌う「永い夜」から、「戦争をしてはいけない」という気持ちがエネルギーいっぱいに放たれている。戦争はたぶんなくならない。自由もたぶん手に入らない。それでも、戦争を許してはならないし、人は自由であるべきだ。「永い夜」はロックの音や歌い方も含め、そういう気持ちを伝える表現なのだ。
「いのちのうた2009」の記事にも書いたが、そうやってそれぞれの時代にそれぞれのやり方で芸術家が伝えることで、気持ちがたくさんの人に届いて、次の世代へつながっていくのだろう。それがなければ、気持ちが伝わる範囲がぐんと小さくなってしまう危険があるような気がする。
そして、そうやって気持ちを届けようとしているのは、ジョンの言うように一人じゃないし、映画を見てもわかるように、この国の人だけでもないのだ。
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by hyuri07 | 2009-08-19 01:02 | 映画

せっけん備え付け。

昨日と今日は違う、と思えるのは幸せなのかも。
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by hyuri07 | 2009-08-18 01:11 | そのほか。

キウイの棚。

夏らしいことがしたい、と思った。
でも夏らしいことって何なのか思いつかずに、まず思いつくこと、楽器の練習をして、モールへ行った。
本屋に行って、次々と本を立ち読みしていて、私にはやりたいことがあった、と思い出した。
それはとりあえず一人で黙々とやるようなことで、夏らしいとは言えないけれど、そちらへ向かっていきたい、やりたいことがたくさんある、と思った。

それでも花火を見に行った。一人で。夏の風に吹かれながら、考え事の続きをした。
夏らしいことがしたい、という欲望は、それだけでもおおかた満たされた。

岐阜の、特に今日の岐阜新聞の花火では、変わった形のものはそうそう上がらない。
定番だけれど、丸い花火は大きくていいな、と思った。

その場の欲望に従っていたら、掴まえたい夢は掴まえられない。
それでも、欲望がうまく満たされないと、心は落ち着かないままだ。私には、心に耳をすませて欲望をかなえてあげる瞬間も必要なのだろうと思う。おそらく、そういう回り道も含めて自分なのだし、そこから見えてくることもある。

そうしながら、夢のほうへ。
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by hyuri07 | 2009-08-16 23:50 | そのほか。