怪しい妖しさ。

私、ろくでもない人間だなあ。
必死でそれを隠そうとしながら生きているけれど、一緒にいる時間が長くなると、ぼろっと、流れ出てしまう。

取材でもそういうところが見透かされているのかもしれない。

自然体というものがない。
常に装って、演じているから。

見透かされても構わないくらい、透明性の高い自分に憧れる。
本当はそういう記者になりたい。

自分に自信がないからつくりこむのかもしれない。
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# by hyuri07 | 2016-09-15 00:59

るぷ。

ポケモンgoをやっている人=歩きスマホをする人、ただ流行に乗っかる人、みたいな決めつけの風を感じて辛くなる。
スマホがあるのにやってみもしないでぐだぐだ言う人の方が私は信用できない。

気をつけて見ていたら、ポケモンgoをやっていなくても歩きスマホをしている人がたくさんいることに気付いた。地図を見ている人、メールを打っている人。そして本を読みながら歩く人というのは昔から変わらず存在する。昨日はバスケの練習の仕方の本を読みながら歩く中学生女子を見た。

でも私は今朝旦那と歩きスマホしないと誓い合ったから、しない。
でも昨日自分でやってみて、気づいたら歩きスマホをしている自分とか、急に立ち止まっている自分とかを体感した。
それだけの威力。
できるなら、現場主義。
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# by hyuri07 | 2016-07-26 08:59

悲しみのカヌー。

いまこんなにしんどくてしんどいのは、寝てないからなのだろうな。

自分のことだけじゃ生きていけない。
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# by hyuri07 | 2016-05-27 00:29

たん。

金曜にあった打ち合わせが延期になって、しかも当初の予定時間から遅れて、バンドの練習の時間にまる被り。悲しい。
駅のコインロッカーに楽器が入らず、放置する勇気はなく、止むを得ず打ち合わせ場所に持っていく。ファミレスの机の下にささっと隠す。
よい打ち合わせだったので悲しさも薄れる。
帰りに楽器がばれる。が相手が面白がってくれたので有難い心持ちになる。
でも帰りの電車でまた淋しくなってくる。今日練習できなかったな、餃子も焼売も食べられなかったな、バンドのみんなに会えなかったな。
1週間のうちの、私の貴重な楽しみの時間。の大切さに改めて気付く。
帰って仕事しようっと。
その分今週個人練習しようっと。
良いことありますように。
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# by hyuri07 | 2016-05-24 21:59

きれっぱ。

どこにも行きたくない。
日々で精一杯。

まあ仕事とかで無理やり行くからそう思うのだろうか。
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# by hyuri07 | 2016-05-24 08:31

池袋ジャズフェスティバル2016。

自分の心から好きな曲をやるって、いいなあ。
私は本当はこんなの好きなんだ、と、思い知らされた。
やっぱりロックが好きだ。ファンクが好きだ。

でもどうしてもそれをバンドでみんなでやりたいってなかなか言えない。いただいた曲を、という感じになる。

でも、自分の好きな曲をやっている人達は本当に楽しそうだった。きらきらしていた。
あんな風になりたいのかな私は。
あんな風に吹きたいのかな私は。
人格を変えられるかな。

LUCAさんがかっこよくて。
キャンディーダルファーの影響を感じた。大西由希子さんとか前田サラさんとかと似た系統に感じる。こういう感じは少し流行っていたりするのだろうか。というかキャンディーの及ぼした影響が大きいということか。サックスを始めたころ、例えば中学くらいからキャンディーを聞いてきた世代なのだろうか。あ、自分もそうでないとは言わせない、のだが。高校のとき、サックスの女の子の間でキャンディーのCDがまわっていたが、当時はホルンだったため残念ながら興味がなかった。
そんなわけで個人的には好きな系統なのだが、たくさんになったために、音だけでは誰なのか分かりづらくなってくる。もっと耳のいい人ならすぐわかるだろうけれど。
そういう意味でいうと粥川先生は、音の太さとかは彼女らと共通するけれど、マウスピースはラバーで、もう少しきれい系の音だ。その独自性が粥川先生の粥川先生たる所以なのだろう。

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# by hyuri07 | 2016-05-23 08:50

めいくいすい。

人生おもいどおりにはいかないよね。
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# by hyuri07 | 2016-04-19 21:38

めいくいすい。

人生おもいどおりにはいかないよね。
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# by hyuri07 | 2016-04-19 21:38

いつぶ。

久しぶりにSAKEROCK「ホニャララ」。明らかに、星野源さんのうたの世界に通じている。SAKEROCKにひかれたのは、言葉のないこのメロディーのあちこちに、うたと同じように厳然と、でもとても近い場所に、生と死がたたずんでいるからなのだろう。
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# by hyuri07 | 2016-03-31 22:46 | 音楽

すべては。

「カフェとカバン」に行く。
素敵なカフェは自然の中へ行く理由になる。

席に座った瞬間、心がほどけた気がした。
そんな気分になったのは久しぶりだ。
窓の外に畑が見える。前の道は車がぴゅいぴゅいと走る。

店員さんと、私の他にもう一組のお客さん。
静かな空間にジャズが存在感をある程度出しながら流れている。

こんな空間を求めていたのかも。
静かで、でも自分もいていいのだと思えて、自然が見えて。

ずーっと、ぼーっとして、
帰りの車、長良川沿いを走っていると、金華山が夕陽に照らされて、向こうの山際はオレンジに染まっていた。
ああ、私はこういうものに囲まれていたんだ、と思った。
岐阜にいたら当たり前のようにそこにあるもの、視界にあるもの。でも都会にいたら、探しても見えない。それに、どれだけ心癒されていたのか、包まれていたのか、気付いて涙が流れた。
ずっと岐阜にいたら、それがどれだけ大きいものか、気付いていないだろうなあ。手を伸ばせばある自然。たとえまちなかや住宅地に住んでいても、目を転じれば、ちょっと出かければ、見える自然。住んでいたら苦労もあるだろう、とも思うけれど、私は岐阜の住宅地に住んでいて不便を感じることってあまり記憶にないんだよなあ。たまに仕事や遊びで遅くなっても自転車やタクシーで帰ってこられるし、マーサがあるから今住んでいるところよりある意味便利なくらいだ。

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# by hyuri07 | 2016-03-21 21:34