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跳んでけ。

 今月一日にバンドのボーカルの方の服のことを考えていたけれど、「モード論」の授業をうけて、授業とつながるところがありそうな気がしてきた。
 一つは、衣服の社会性の問題。バンドの人々は、カジュアルな服を着ることで、バンドマンになる、ということかなあ。私自身、バンドの練習やライブのとき、きれいめの服は意識して避けるようになった。スカートもはかなかった。それは、バンドマンになるという覚悟の表れだったのかもしれない。バンドマンになれば、もっといいライブを目指して、練習ほかいろいろなものが求められる。普段の服装でその輪の中に入っていたら、私は無意識のうちに学生気分を引きずり、求められるものを出すよう努力することを怠るようになっていたかもしれない。
 しかし、もともとなぜきれいめの服を避けようと思ったかといえば、輪の中に溶け込みたい、浮きたくないと思ったからだ。それは授業で扱われた、衣服が輪の中へ入るパス、というような話とつながると思う。バンドの皆になじむ、同じレベルで、音楽の話もばか話もするためには、同じような服装をしていたほうがいい、と私は考えたのではないか。けっこう多くの人が似たように考えることがあるのではないかと思う。
 授業では、「同じような服を着る中で、わずかな差異に自分をかける」という話もあった。それも確かにうなずける。ただ、バンドマンの場合、音楽で自分の個性は十分に出せる。そういう安心感があるから、服が多少似通っていても、そこまで気にしなくてもすむのかもしれない。服に、そこまで自分をかけなくてもいいのかもしれない。
by hyuri07 | 2004-11-21 01:15 | モード論


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