「よく勉強してるね」という言葉があまり好きでないことに気付いた。
それは、上から見ている言葉だ。自分のほうがよく知っているから言える言葉だ。
その言葉に続いて、「こういうのもあるよ」と紹介してくれるかもしれない。
でもそれは絶対だ。紹介されるものが正しいのだ。それを知らなかったほうが劣っているのだ。
紹介されたとおりにやらなければならない。
知識では敵わないかもしれない。
でも私には他のものがあるかもしれない。
何を使うべきか、どう並べるべきか、どう表現するべきか、考える視点。
「よく勉強してるね」という言葉は、相手にも同じ視点や価値観で見ることを要求している。
私は確かに知識も足りず、いろいろなことができないかもしれない。
それでも、対等の立場で勝負したいのだ。
自分の意見を、これがいいと思ったことを、ちゃんと述べたいのだ。
ちゃんと述べられたら、「こういう視点か」と思って読んでもらえたのがわかったら、
陳腐だと言われても、考え直しと言われても、ちっとも辛くない。
私がどう考えるかを、私の視点を、要求されているのだ。
もっといいものにしたい、という前向きな気持ちばかりがむくむく沸いてくる。