あかりとりの窓。

奥山貴宏さんが肺がんで余命2年と診断されたのが、31歳。

そのことに、つい最近気付く。

31歳、まだ何も始まっていないって、思う。

いや、多少は始まっているかもしれないけれど、走り始めたばかりだ。
いくつかは形になったものがあったとしても、それはまだ過程だ。
見返すと、まだまだだと思うことがたくさんあって、だから次はもっといいものを作ってやる、と思う。

奥山さんと私に共通のことで言えば、子どももいない。

生きてきたことに何の意味があったのだろう?と、私なら思うかもしれない。

だけど奥山さんは、本人にその意図があったかどうかはともかく、その人生に確かなものを残しにかかった。
モノ書きとしては、かなえたい夢。亡くなるまでの2年4ヶ月の間に、自分の名前で3冊の本を残した。小説家デビューも果たした。
今もそれらはちゃんと残っている。文庫化もされたし、図書館にも他の本と並んできちんと立っている。

いつも、好きなものを、いいと思うものを、大切にしていた奥山さん。

31歳。
人生はいつ終わるかわからない。
もう、折り返し地点を回っている可能性も高い。
それでもまだ始まらないって、人生はなんて険しいんだろう。
私がぐずぐずしているだけかもしれないけれど。

奥山さんに見えていたのは、
日にちは切られていないけれど、そのうち日常がぷつんと終わってしまうという人生。
終わりの見えている日々。

だけど、かなり最後のほうまで、奥山さんには、自分の可能性が果てなく広がっているように、終わりが見えないように、感じていたのではないかと思う。

できるなら、広がった人生を生きたい。終わりの見えない人生を生きたい。

2年4ヶ月あれば、本も書ける。別に、余命を宣告されていなくても。
かなえたい夢があるなら、たとえ過程にしかならないとしても、形にして一歩前に進むチャンスは、きっといつだって誰にだって転がっているはずなのだ。

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by hyuri07 | 2013-11-06 23:26 | そのほか。


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