ぴりっつ。

「没後100年記念 フランスの至宝 エミール・ガレ展」を見に行ってきた。
彼の作っているのは、花瓶や水差しなどの器がほとんどだ。
しかし実際に花をいけたら、花が目立たなくなってしまうのではないかと思うようなものもあった。
一緒に行った母は、「それは芸術になっているのだから、実際に使うときのことを考えてはいけない」というようなことを言った。
しかし私はなかなかそうは思えなかった。「モード論」の授業を通して、服は誰かが着て初めて服として成立するなあということを感じた。花瓶でも似たようなことが言えるのではないかと思った。
また、展覧会の最後のほうで、彼の晩年の作品である、「手」というタイトルの彫刻が展示されていた。花瓶でも水差しでもなかった。晩年になって彫刻という手段を選ぶところに、何か意味があるのだろうとも思った。
しかし母を説得できるだけの考えは浮かばず、花瓶と服ではやはり違う部分も多いのだろうか、ということを一応の解決策として、その場では気持ちを切り替えた。
それでもまだ、もやもやは少しは残っている。

ただ、どっちにしろ、展覧会自体は、よかった。きれいだったし、それだけではないものも垣間見えた気がした。特に、陶器や、後期の作品が気に入った。それらが、花が生けられたり水を入れられてテーブルに置かれたりしているところを想像すると、ほかになくて斬新だけれど確かにかっこいいと思えるものがいくつもあった。その斬新さはなんだか天才というより仕方なかった。
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by hyuri07 | 2005-05-22 23:54 | モード論


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