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ハウルの動く城。(ねたばれ大有りなのでお気をつけ下さい)

 






 最初は雲や霧が映って、タイトルが出るのだが、そのとき、鐘の音が遠くに聞こえている。鐘の音というのは文学において、遠くから聞こえてくるということで空間の広がりを表したり、懐かしさを喚起したりするような音という役割を果たしている。

 最初に思ったのはこのことだが、今回一番思ったのは、「文明と自然との対立」ということだった。ソフィーの故郷の町では、目の前を汽車が走り、煙を出している。汽車というのは、たとえばソローの『ウォールデン』では、自然に侵入する文明の象徴のような役割を果たすと、レオ・マークス氏などは言っているのを思い出す。他にも、町には人がたくさんいて、建物が立ち並んでいる。
 これに対して、ソフィーは、ハウルの城の移動に伴って湖畔まで来たとき、美しい景色を目にして、ひどく感動している。私はこの場面を見て、汽車が走り文明が発達している場面と対比されているのではないかと感じた。町に生まれたソフィーが、町でなく自然に惹かれているということには意味があるような気がする。ハウルのソフィーへのプレゼントも美しい景色であった。このようなことから、文明と自然を二項対立的に見て、しかも自然のほうによさを見るような主張が、この映画にはあるような気がすると思った。この物語の戦争も、高機能な武器によってなされており、文明を表すものである。花畑に軍の飛行船が侵入する場面は、まさに先ほどあげた『ウォールデン』の場面を思い出させた。

 一方で、善と悪は二項対立的には描かれていなかったと思う。これは映画館で最初に見たときにも思ったことだ。そのとき引用した宮沢賢治の「修羅が明滅する」という言葉は、確かにこの物語を言い当てているようにも思う。以前気づかなかった点では、たとえばハウルとカルシファーが出会う場面で、悪魔のはずのカルシファーが、まばゆい光を放って美しく描かれていたという点なども、このことを象徴しているような気がする。
 戦争を、悪魔であるハウルが止めていた。悪魔でなければ止められなかったのかな、とも思う。そのとき、戦争は国家が進めている「善」だったのだから。以前書いたことなので今回は詳しくは触れないが、本当に奥の深い物語だと思う。
 その分、もしかしたら、結末を物足りなく思う人がいるのかもしれない。結局ハウルは戦争を止められなかった、何もできなかったと。しかしそれが真実のような気がする。一人では大きなことはできない。一般の国民にできるのは、「家族」を守ろうとすること、それくらいのような気がする。一人で大きく力を振るえるのはカブのような王子くらいで、他の人間がそれをするには、集まって大きな力を作るしかないのではないだろうか。その無力さをも、この物語は描いているのだと思う。だからこの映画は、100%ハッピーエンドというわけではなく、解決されていない問題を残している。しかし、それがサリマンの言うように「ハッピーエンド」として描かれているのは、結末が、「家族」のことに絞って描かれていたからだと思う。一人の力で戦争は止められなかった。でも、「家族」は、幸せにすることができるのだと。
 そして、一人一人が家族を幸せにしようとしたとき、やっと、「集まって大きな力を作る」ことができ、戦争をしようとする気持ちが国中で止まるのではないか。この映画はそういっているのではないかと思う。しかしそれは、ほとんど不可能と思われるくらいに難しいことなのだということも、この映画は示しているような気がする。
 
by hyuri07 | 2006-07-22 15:52 | 映画


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