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太い羽。

奥山貴弘『ヴァニシングポイント』を読む。

ずっと読みたかったけれど、1400円出すのを渋っていた。図書館にもあまり入っていなかった。しかし今日行った図書館で、著者の名前を入れて検索したら、4件ヒットしたのだ。
4件という数字は奥山さんが遺した本の全てがこの図書館にあるということを意味していた。

スターウォーズエピソード3を見る前に逝ってしまった奥山さん。

文体の切れ味の鋭さ、鮮やかさは、立ち読みしたときに分かっていた。それだけでない。自伝小説ということだが、フィクションの色合いは思った以上に濃かった。何らかのヒントは実体験の中にあったとしても、小説としての一つの世界を構築する想像力、構成力がぴりぴりと感じられた。いろいろなエピソードは、その世界を創るために、実際にあったことから少し形を変え、また新たに創られているのだった。そういう作品だから、死を目前にしながらバイクで真っ直ぐハイスピードで走るように生きる「オレ」の言うことは、素直に私の心に響いたのかもしれない。切なかった。

そしてもう一つ、哀しくもあった。その「ぴりぴり」という感じは、むしろ前半で強く感じた。最後の方では、切なくさせる部分がありながらも、どこか冗長的なものを感じさせるような部分もあった。エピソードをどう創り配置するかということについて、緊張をはりめぐらしながらもっともよいバランスのところに置こうと考えながら書かれている感じが、前半には強い。しかし最後のあたりでは、小説を書き始める前、全体の構成を考えたときに書こうと考えていたエピソードを、力を振り絞って書き、配置し、終わらせているというような感じも受ける。
小説第一作なのだ。完璧なものにするには力及ばないものになったとしても不思議ではない。しかしこのようになっているのは、筆力が充実する前だったというよりももっと大きな理由があるように、読みながら感じた。この小説を書き進めるにしたがって、奥山さんの病状が進んでいるからなのではないか。だから、終盤のほうがパワーダウンしてしまったのではないか。
もちろん、奥山さんが校正を繰り返したことも頭に入れて言っている。それでも、最初に書いたものを校正だけではひっくり返せなかったのではないか。なにしろ長編小説の校正をするのも奥山さんにとって初めてなのだ。

しかしこのことを指摘することによって次のようなことも言うことができる。この小説自体が、ヴァニシングポイントへ向かう構成となっているのではないかと。ヴァニシングポイントに辿り着くまで全力で疾走している。小説自体に変調を起こさせること、つまり書き方が変わることで、それが近づいているということが表現されているのではないか。
それが作者の意図によるものなのかどうかまでは、言えないけれど。

この本が発売されたとき、書店に並んだとき、奥山さんはまさにヴァニシングポイントに突入する直前にいたのだ。その時には誰にもはっきりとしたことはわからなかったけれど。
小説第一作だけを遺して、奥山さんはこの世を去っていった。

図書館には第1刷が入っていた。
そのせいなのかどうかは分からないが、プロフィールの欄にははっきり、「目下、小説の二作目を執筆準備中」と書いてあった。
奥山さんは二作目に、どんなテーマを選び、どんな世界を築き、どんなことを書こうとしていたのだろう。

確かに、余命二年という状況が、奥山さんの筆を早いうちに冴えさせたということはあるかもしれない。
奥山さんは、できうる最高のものを作って去っていった。
でも二作目を書いていたら、もっといい作品になっていただろう。
三作目はもっと。
この本ももちろんいい。でもきっと奥山さんが生きていたら、もっといい作品を書くことができた。
…そう確信するからこそ、小説に出てくる「オレ」のお母様と同様、奥山さんがあれ以上生きられなかったことが、悔しい。
もっと書いてほしかった。読みたかった。エピソード3も見てほしかった。
たらればを言えばきりがないがどうしてもそう思ってしまうのだ。

それでも。
この本を読む間のどきどき。没頭した時間。浸った時間。心に残ること。
そういうものをくださって、奥山さん、本当にありがとうございます。
岐阜という言葉がでてきてうれしかったです。奥山さんにとって岐阜はどんな場所だったんだろう。
イベンターのお友達がいるので(ライブハウスの)、クラブのパーティーなんかの話は全くの異世界に引き込まれるという感じではなかったですが、ほんの少しでも聞きかじっているせいかしくみがなんとなく想像できて、その分話の展開に入り込めた気がします。

ヴァニシングポイントに突入していく小説でありながら、終わりという感じがしない。これは鮮烈なデビュー作で、そのうち同じ作者の第二作が出るような気がしてしまう。
この本は始まりなんだ。
死ななくたって生きていたって、今より先の未来に何が起こるかわからない。一瞬先は闇。だけど二瞬先には光があるのかもしれない。
今より先に何があるのか誰にもわからない。そう考えたら、生きることというのはヴァニシングポイントに突入し続けることとも言えるのかもしれない。

生涯の最後に、始まりの小説を書いた奥山さん。
始まりをきちんと定めることさえこんなに、力を注がないとできないことなのだ。
始まりが定まる前に、人生はもう始まっている。
私は始まりを定められるのか。そして始まりを越えて次へ行けるのか。
そしてその次へ。

・・・行けたらいい。
とりあえず投げることだけはしないでおきたい。
by hyuri07 | 2006-12-13 03:56 | 文学


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