江國香織『ホリー・ガーデン』。

どうしよう。わからなかった。

途中までは楽しく読んでいたのだ。
文学部の友達二人がすすめてくれた本だった。週末の朝にごろごろっと読んでいると、ちょっと幸せな気分だった。




今から思えばそれは、何も起こらない小説だったからかもしれない。
結末には何かあるかと思った。果歩のほうは、起こりかけた。しかし、いまいち起こらなかった。静枝のほうは、起こりそうで、起こらなかった。
作者はそういう小説を意図して書いたのだろう。「あとがき」でもそれがわかる。

何も起こらない感じは好きだ。そういう人は多いだろう。小説の中でそういう空気を作るのは、なかなか大変なことだと思う。
それでも私は、最後まで何も起こらないと、つかめずにするっと物語が手の中から逃げていくような感じがする。
わかりやすいものを求めてしまっているのかもしれない。

果歩が眠らないこと、規則正しくいること、静枝の相手が不倫だということ。小説であり、作者が作り出した世界である限り、その一つ一つには意味があってほしいと思っているのかもしれない。
しかしあとがきを読む限り、作者に言わせればそれらは「余分なこと」なのかもしれない。確かに、実際に生きている中では、人は意味のないことをしているだろうし、その人の持つ背景が、すべてはっきりと他の何かの原因になっているわけでもないだろう。

小説の世界は作者の手の中にあるものなのか、それとも作者すら手が出せない一つの別世界なのか。
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by hyuri07 | 2007-04-29 11:35 | そのほか。


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