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田んぼの四季。

10月23日のところで書いた「モード論」の授業のときのこと。
ファッションブランドの店を紹介するために、教授が黒板に地図を書き始めた。
場所は原宿。
これが表参道で、これがなんとか通り(竹下通りのことらしい)と言って書きながら教授は、「この辺には世界的な建築家の建築物が多いんですよ」と、話を脱線させて説明し始めた。
曰く、ここに安藤忠雄さんが今建てていて、その向かいにだれそれさんの作ったビル、その横にもだれそれさんのビル。このビルは、柱が普通と違って、こんな風になってるんですよ。交差点の向こうのこの建物が、そのブランドの店で、その横のこのビルには、女優のなんとかさん夫妻が住んでます、と。
・・・東京に生まれた子は、そういうものを見ながら育つことができるのだなあ。田舎に育つ子とは違うなあ。

そういうものを見ていたら、建築に早くから興味を持ち続けるかもしれない。先端の芸術に対する感覚が、鋭くなるかもしれない。そういう意味で有利な部分があるだろうなあと、ごく田舎で育った私は、うらやましくなってしまう。そこで育っていたら、人生変わっていただろう。ごく田舎と言っても、自転車で三十分走ったら小さめのロフトやパルコには辿り着けるから、もっと田舎で育つ人はいっぱいいるはずだ。(ただ悲しいことに、いまだに近くに大型CDショップはできない。)
だけど、田舎で育ったのなら。きっと穏やかに流れる時間を持ち続けることができるだろう。無意識のうちに、緑を愛して、しばらく会わなくても、会えたときほっとするだろう。梅田に初めて行ったとき、人々の足の速さに驚いた。この世にあるのは、都会のせかせかした時間だけではないということを知っている。それもまた、ある意味で有利な部分なのではないかと思う。

大阪の人たちは、大阪に強い誇りを持っている人が多いように思う。東京弁を嫌がったりとか。私はやっぱり、都会にいると、田舎出身ということで引け目を感じることがある。それでも、都会で育つということは考えられない。自然のないところで育つということがどういうことなのか、感覚としてわからないのだ。それだけ私の体には、土や木や緑が染み付いている。田舎で生まれてよかったと思う。
生まれた場所を好きだと言えるなんて、幸せだ。
by hyuri07 | 2004-10-27 00:58 | モード論


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