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吹き矢と吹き竹。

男女共同参画の問題について考えるとき、その人の背景によって、発言内容の伝わり方がかなり違ってくるような気がする。それは私の心の狭さがもたらしていることなのかもしれないが。
同じことを言っても、男性と女性と、結婚している人としていない人と、子どものいる人といない人と、発言のうちどこが強調されて伝わるかが違う。どうかすると、説得力まで違ってくるかもしれない。たとえばある程度の年齢で働いている独身男性が女性の社会進出を話すのと、結婚して子どもがいて働いている女性が女性の社会進出を話すのとでは、後者のほうが実感のこもったものになりそうな気がしてしまう。
自分の実感が発言内容に真実味を持たせる。だから普通の人が大学教授に物申すなんてこともできる可能性もある。でも、その自分の背景というのはその人が望んで持っているものばかりとは限らない。結婚したくてもできない人、子どもが欲しいけれどできない人というのも相当たくさんいるはずだ。この問題についての自分の意見に真実味を持たせたければ、そういう自分の立場まで話さなければならなくなるのではないかと思う。そういう意味で、この問題というのは、生きるために人がまとっているものを無理やり剥がす危険を内包しているような気がする。

でもだからといって、放っておいていい問題ではないと思う。
勝手に人を剥がさないよう、考えているはずなのに傷ついている人がいないよう、注意していよう。

それでも、やれることは、小さい小さいことならいろいろありそうだ。
by hyuri07 | 2007-09-03 22:18 | そのほか。


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