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友達論21。

先輩の言葉をいただいて思ったこと。
・確かに、場数を踏むというのは重要なことなのだろうな。
・話しやすい人と話しにくい人というのはあるかもしれない。でも、話しにくい人もいい人だし大好きだったりする。話しにくい人が自分にとって重要なことを言うこともあるかもしれない。話しにくいというのは自分が至らないせいなのではないか。
・話しにくい人ともつきあっていかなければならない。そのとき、人を「話しやすい」と「話しにくい」にわけていると、話しやすい人をひいきするなど対応に隔てができてしまうのではないか。
・たくさんの人に出会っても、この先も付き合っていく人はほんの一握りなのだとしたら。大切にできる人数は限られていて、ある人を大切にするために他の人を大切にできなくなるのなら。なんのためにたくさんの人と出会うのだろうか。
・「話しにくい」と思った人に、たとえば後で仕事やなんかのかかわりで助けてもらいたくなったとき、都合のいいときだけ利用するような罪悪感を覚えないだろうか。
・自分をアピールしたり、自分のほうを向かせようとしたりすることにためらいを感じる。自分のことを話したいときというのは限られていて、たいていは、人の話を聞きたい。自分の好きなことや自分の世界の話を楽しそうにする人を見るのが好きだ。友達を作ることより、まずはその場が問題なくおさまること、できるなら楽しく盛り上がることを考えてしまう。

一度は出会って、話をしたりして仲良くなったのに、その後大切にすることができない人が増えていくのが、辛い。人が流れ去っていくのが怖い。それは自分もまた誰かから流れ去っていくということだ。自分が誰かのもとにとどまることができる自信がない。あのとき仲良くなったと思ったことが、その場限りのこと、その場の雰囲気によってなされたことにすぎないと、思い知らされるのが怖い。だからといって、流さないでとアピールすることもできない。
自分のことを、流さないでとどめていてくれる人もいることもわかる。でも、彼女らがどうして自分のことをとどめていてくれるのか、どうしてもはっきりとはわからない。

気が合う、と思えたのは、今までの人生でそんなにないことだ。
どれだけたくさんの人と出会っても、出会っても、そういう人にめぐり会わないことだってある。

話が合う、話しやすい、気が合う、ということが、他の人より仲良くなることだとしたら、
友達は作るものではなく、できるもの、ということなのか?
友達を作るのに必要なのは関係を作る努力ではなく、出会えるようにする努力、ということなのか?

気が合うと思った人にめぐり会えても、
その関係を育てるのに失敗することもあるだろう。

みんなのことが大好きなのに、
話しやすい人と話しにくい人とで区別をつけるのが嫌なのだ。
自分にそんな権利はないのではないかと思う。
相手がどう考えているかなんて、正確にはわからない。

難しいよう。

行動が大切なのはわかっているけれど、
どうしても考えてしまうし、考えなかったら自分は消し飛んでしまうと思う。
自分にとって気の合う人というのはそれをわかってくれる人なのだと思う。
もちろん、考えるより行動しなさいと言ってくださるのもわかるし、大切なのだと思うけれど。

先日参加したある事業。
私はあの場で、
考えること、それを話すことができなかった。
それは場の雰囲気に合っていないような気がした。

そして私は、はっとするほど気の合う人にはめぐり会えなかった。
自分のせいなのだろう。

次にこういう機会が与えられたとき、もう少し違う振る舞いができるのか。
どう振る舞えばいいのか。
まだ、どうにもよくわからない。
by hyuri07 | 2007-12-09 03:14 | 友達論


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