川田亜子さんの自殺。
ニュースを聞いてからずっと気になっていた。
たくさんの人が彼女の不調に気づいていたのに、
誰も彼女を助けられなかった。
なんて、無力なんだ。
前日の番組で自殺志願者について特集していたことも無関係ではないと思う。
死がちらつく人が死に触れると、ますます死を考えてしまうと思う。
昔、就職活動で悩んでいたとき、鷺沢萠さんが自殺した。死が自分に近いもののように感じた。
自殺した人が遺した文章を読んだら、自分もその文章に近いことを考えていたことがあった。一歩間違えば自分も自殺の道をゆくのかと、怖くなったことがあった。
彼女のブログについての、あるネットニュースを読んだ。自殺の数日前のものだ。彼女をこきおろすようなものというよりは、彼女を純粋に心配するような感じが強いものだった。
それでも、その心配はいい形で彼女には届かなかった。
きっと、そんな客観的なものじゃ駄目だったのだ。自分の生活を費やして、彼女にかかわっていかなければ、彼女には届かなかったのではないか。
元気がない彼女を心配して、食事に誘っていたという鳥越俊太郎さん。それでも、間に合わなかった。
他にも家族や友人や、彼女のために生活を費やす覚悟のある人はいたかもしれない。それでも、費やすべきときなのかどうかわからなかったのではないか。特に、メールや電話だったり、会う間隔が広くなったりしていたら。
誰も悪くない。
でも、救えなかった。